"Und morgen wird die Sonne wieder scheinen..."

[Diary; Tagebuch; Diario; Journal; 日記]


「そして、明日も又太陽は昇るでしょう・・・」という歌曲の一節から とった
この項は小生が日頃何を聴き、何を考え ているかを記す場所です。

 
["Papa", Haydn]
[A.D. 2006 / Heisei 18 / Kôki 2666]

October; Oktober; Ottobre; Octobre

[Last modification: 30.Oct.2006]


son.01.oct.  十月である。少しデザイン・スタイル・フォントを変えて、「秋らしく」。見やすく なったであろうか?それが一番大事なこと。

 週末のTV映画は、『オー シャンズ・イレブン』を見る。ストーリーは大したことはないのだが、展開や場面のダンディーさ、クルーニー、とブラット・ピット、ガルシアの役は なかなかであった。批評では役者を使いこなしきっていない、というのがあったが、まぁ、ああいうのは楽しんでみるものだからね。

 その後更に深夜に、『キル・ビルVol.1』を見るが、ヒットの割にはたいしたことがないと感じた。最後の場面なんか、池田屋と吉良邸を足し たようなものだったし、まぁ、日本語がおかしいのは当然のこととして、ストーリーや感覚それ自体が、お粗末といってよい。



<本日聞 いた音楽>
 ト スカニーニ指揮NBC響 バッハ、ハイドン、チャイコフスキー 独Naxos
[写真無し]
(バッハ、ハイドンは、バロックの冷徹さのようなものを表現したものか?チャイコフスキーの『悲愴』は苦手作品だが、これもドライで音楽の背後にある文学 性など微塵も表出していない。しかしなぜか、それほど感銘は受けなかった。最近トスカニーニはやや苦手としている。)


 ト スカニーニ指揮NBC響 グルック、ブラームス、リスト他 独Naxos
[写真無し]
(おまけは色々と。本ちゃんはブラームスの第三番。なぜかプロの真ん中に挟まっている。相変わらずドライな演奏だが、ブラームスは中々にートスカニーニに してはーロマンティックで「ブラームス」している。フィルハーモニア管との全集がTestamentで出ているが、これは中々の演奏だそうな。一度聞いて 見たいものだ。

 後はなぜか、S.ヴァーグナーの『黒い白鳥の國』(黒い白鳥なんているんでしょうか?)というもの。初期のR.シュトラウス及びフンパーディンクのオペ ラを二流でかけたもの。所々後期ロマン派風のテイストがあるのだが・・・。先日聞いて吃驚した、ベルグルンド指揮ボーンマス響によるシベリウス第一全集の 中より最後の最後の収録作品、『En Saga』が素晴らしかった。

mon.02.oct.  寒くなってきたぞい。

 好きな音楽ばかりだけではなく、聞かなければならない音楽もあるので、強制ではなく、楽しんで今まで部屋の中で不遇なCDなどを取り出す。

 各種ソフトのスキンやら、PCのバックグラウンドなどや、拡張やらといじって楽しんでいる。


<本日聞 いた音楽>
 ヘ ンツェ指揮BPO、LSO ヘンツェ:交響曲第1-6番 独DG
[写真無し]
(なんということはない、オリジナリティーが余り感じられない作品である。なんで、今更シンフォニーをこのご時勢に書いているのであろうか?それも、才気 溢れるものならまだしも、これじゃストラヴィンスキーをやや「現代風」に味付けしただけであろう。)


 バー ダー指揮ベルリン・ラジオ響 ヴォルフ・フェラーリ:オラトリオ『La Vita Nuova』(新しい生命) 墺Koch

(フンパーディンクのメルヒェン性、大バッハを真似た"似非"宗教音楽、R.シュトラウスが先取りした映画音楽のような、ダンテが書いた詩を基にした曲で あり、めろめろのロマンティックなマーラーの『一千人の交響曲』のようなオラトリオである。極めつけは児童合唱であろう。聞きなれない音楽に対する取り組 み、音楽家たちの孤軍奮闘振りは買うものの、オケのコンディション、録音がややぼけているのが非常に残念である。)

 他にはKlee指揮シュターツカペレ・ベルリンによるニコライ:『ウィンザーの陽気な女房たち』(独BerlinClassics)など。心が清らかに なるフレーミヒ指揮ドレスデン十字架合唱団による16,17世紀のアカペラモテット集(日徳間)。

die.03.oct.  寒いのだが、まだ室内暖房がつかない、使えない。

 今日は、『ドイツ統一の日』ということで祭日。ま、外国人にでも祭日が来るのは非常にありがたい話で、非常に民主的である・・・ん?
 ま、どうでもいいか。


<本日聞 いた音楽>
 カ イルベルト指揮バイエルン国立歌劇場 R.シュトラウス:『サロメ』 独Orfeo

(カイルベルトによる第二回目の録音 でライブ。Orfeoのバイエルン国立歌劇場Liveシリーズの第一弾らしい。自分の部屋に寝かせておいた「蔵出し音源」。其の罰当たりのせいか、この演 奏に驚愕!以前はそれほどその凄味を感じなかった、演奏、曲だったのだが、4年以上経過し、熟成して?ーこの間聞き手である自身もかなり「変化」したと思 うー前回聞いたときよりも楽しめた。
 カイルベルトはカラヤンの反極に位置していると思う。カラヤンのがガラス越しに眺める、イギリス産の銘ティーカップだとすると、カイルベルトのそれは、 ごつごつとしていながらも、触って楽しめる感触がある本邦の土器のようだ。それにしても、カイルベルトのオペラを盛り上げる、流れの妙はオペラ指揮の根本 であり、最高の例である。最後の盛り上がりに対する手腕も流石である。
 歌手では題名役のボルク、ヨカナーンのホッターがやはり名歌手ぶりである。
 尚、リマスターはあのお二人。クラウス+アイヒンガーのコンビで ある・・・。)


 ベー ム、モラルト、ホルライザー指揮VPO R.シュトラウス:『四つの最後の歌』、オペラよりアリア集 独Decca

(シュトラウスの続き。名シュトラウ ス歌いであったLisa della Casaによるシュトラウス集大成。リマスターされる前もそうだったが、『四つの最後の歌』では通常歌われる順序ではなく、ヘッセによる『Beim Schlafengehen』が第一曲目である。3-2-1-4の順である。音はやや窮屈ないかにも初期Deccaの録音である。Legendsシリーズ の一つであり、96kHz-24-bitなんとかでリマスターしてはいるものの・・・。
 ヴァイオリン・ソロはやはりボスコフスキーであろうか?VPOがR.シュトラウスの含有する「危険な」耽美を余すことなく描いている。
 オペラアリア集では、作曲家の甥であるモラルトによる『アラベラ』、最近亡くなってしまったホルライザーによる、『アラベラ』、『ナクソス島のアリアド ネ]、『カプリッチョ』である。
 正直、ベームの指揮ぶりよりも、伴奏指揮ながら、オケの魅力と曲の美麗さを十二分に表出しているのはモラルトとホルライザーの方である。
 della Casaの脇を固めるのは、ギューデンとシェッフラーであり、当時のヴィーン・(モーツァルト)・アンサンブルである。特にシェッフラーのマンドリーカの 艶とこくのあることといったら!

mit.04.oct.  吉田秀和氏の『音楽 展望と批評T](朝日文庫)に、シェーンベルクの言を借り て、(いつかも書いた覚えがあるが)「したいと思うことをそうる人間でなくて、しなければならないことをあえてする人間が、芸術家というものである」、と いうのが載っている。

 その言を更に発展して、「聞きたいと思う人間だけではなく、聞かなければならない音楽をあえてする人間が、真の音楽愛好家というものである」という風に 変奏したい。

 我々、一音楽ファンは、毎日、というかしばしば音楽を楽しんで、自分の好きなときに、自分の好きな音楽を、自分の好きな演奏家のもと嗜好しているのだ が、時には、いや敢えて新しいものに挑戦しなければならない時があるし、そうしないと思考の停止及び、硬直化、脳細胞の退化に繋がると信ずる。すなわち、 何時もベートーヴェンやら、ブルックナーやらヴァーグナーやら、マーラーだけを聞いて、音楽を語ってはいけない。また、フルトヴェングラーやら、ヴァル ターやら、クレンペラーやら、クナッパーツブッシュだけをきいて、「良い演奏」とするのも同様に宜しくは無い。故に、楽しみの音楽受容、という以上に、敢 えて命名するのであれば、「挑戦の音楽」という風に、常に新しい発見を求めなければならないと思う。また、以前は嫌いであった演奏や音楽が、時にその評価 が正反対に位置する場合もあるし、以前と同じように変わらないかもしれない。しかしながら、我々が常に心に留めておくべきことは、「一つ」の答え及び、不 動の地位を得ているものに追随するだけではない、ということだ。

 よって、自分の小さな使命ではあるが、こういった「挑戦の音楽」を常に持っており、新たなる世界へとアンカーを挙げるように努めている。


<本日聞 いた音楽>
 Wit 指揮ポーランド放送響(カトヴィッツ) クリーゲル(チェロ) ショスタコーヴィチ:チェロ協奏曲第一番、第二番 独Naxos

(ショスタコーヴィチは苦手な作曲家 である。才能ある作曲家ではあろう、と思っているのだが、どうしても聞く際にその心がけが着いていけない。勿論、交響曲は多く聴いたし、協奏曲はピアノ、 ヴァイオリン、そしてこのチェロも優れた作品だとは思う。が、どうにもこうにも自分の文法に合致しないのである。だからといって聞くのをやめたりしてはい けないのだから、今回取り出してみた。
 チェロのクリーゲルは、既にNaxosでドヴォルジャーク及びエルガーのチェロ協奏曲のCDで技術及びその感触は折り紙つき。決してチェロは分かるよう な楽器ではないのだが、優れたチェロ奏者であることは分かる。また、意外にも!−失礼!−ポーランドの放送オケがなかなかにしっかりした実力を持っている のにも嬉しい再会である。
 曲も例によっての寝暗さだが、少なくともつまらなくはないと感じた。こういうひねくれ加減もたまに聞く分には良い。録音も最優秀とはいえないが、オケの 魅力を出すには充分すぎるほど優れていよう。)


 クー ベリック指揮バイエルン放送響 ドヴォルジャーク:序曲集、交響詩集 米DG
(ドヴォルジャークはそのメロディー ラインの豊かなお陰で、なかなかに優れている作品が多いと思う、のだが、ここに録音されたもの、特に序曲意外、交響詩はいかんせん構成がごちゃごちゃして いる上に長すぎる。所々光るものがあるのだが、全体を俯瞰してみると、どうも疑問符がついてしまう。)

don.05.oct.  昨日は偉そうなことを書いた。が、本日購入したCDの面子をみると、やはり な。。。挑戦である。

 昨日より室内暖房がようやくつきだして、寒い思いをしないで済んでいる。ありがたいことだ。やはり、人間衣食住、どれ一つ欠けてもだめなのである。


<今月購入したCD>

@アーノ ンクール指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 ハイドン:ザロモンセット集他 独Warner 5CD 22.99E


@クラフ ト指揮CSO他 シェーンベルク編曲集 独BMG Sony 6.99E


@Belder 指揮Musica Amphion バッハ:ブランデンブルク協奏曲全集 蘭ブリリアント 3.99E


<本日聞 いた音楽>
 ク ラフト指揮 シェーンベルク編曲集
(収録曲の内容はブラームスのピアノ 四重奏曲第一番(シェーンベルク編)、バッハ:『聖アン](シェーンベルク編)、バッハ:コラール2つ(シェーンベルク編)、シューベルト:ドイツ舞曲 (ウェーベルン編)である。60年代初頭の録音であり、録音もオケーシカゴ響!もそれほど研ぎ澄まされているわけではない。クラフトはブラームスのやつを 後に再度フィルハーモニア管と録音しているが、それはMDに収録してある。
 クラフトは一生にシェーンベルクの最大の擁護者の一人であり、多くのCDを行ったり、本もかいたりした。ただ、良い理解者即ち良い音楽家とはならない。 正直言ってライナー時代(死後か?)のCSOがあれほどまでによれよれなのは意外であった。トロント響との『聖アン』が珍妙に聞こえたのだが、これはこれ で楽しめた。


 アー ノンクール指揮ACO ハイドン:交響曲68、93、94番
(まってましたの、アーノンクールに よるハイドン。彼のデフォルメした解釈を聞くにつれて、思わずにやっとしてしまうし、ハイドンのそれはバッハとは違うものの、解釈の枠が幅広く、包容力が 大きいものの、それゆえに酷い指揮者にかかると、それは陳腐なものになってしまうのが恐ろしい。
 しかし、アーノンクールの手にかかると、まさに水を得た魚のように、飛び跳ねる、びっくりさせられる、喜びを与えてくれる、楽しみを分かち合ってくれる という風で、まさにハイドンを聞いている気持ちがしてならない。

son.08.oct.  肩凝りが!昼寝していたら、肩が痛くて、なぜか肩をもまれている夢まで見る始 末。折角タイガーバーム塗ったのに・・・。

 最近も、「未知なる」CDを聞くようにしている。
 カイルベルト指揮シュトゥットガルト帝國放送管による未完全ながらドイツ語版の『Turandot』(墺Koch)はやや、面白みに欠ける曲だから、そ れほどでも・・・。
 オーマンディ指揮ラフマニノフ交響曲全集はややもっさりしすぎの曲だし、なにせSudokuをやりながらだったからそれほど集中出来て聞いたわけではな かった(米Sony)。マゼールの全集でも欲しいかな?
 Bass指揮によるR.シュトラウスの一幕オペラ『平和記念日』(『講和記念日』とも)はプレミエ録音で、カーネギー・ホールでのライブ。曲は単調で、 余り才覚のあるものではないし、演奏もへろへろである。尚、金属的ないかにも「ドラマティック・ソプラノ」であるAlessandra Marcが留保付で気に入った。彼女はシノーポリと一緒にSchoenbergとかを録音していたから、声を覚えていたのかもしれない。これもKochの 録音だが、それほど感心するものではない。
 Lloyd-JonesによるNaxosへの録音は殆どが素晴らしい。ティントナーのブルックナーでおなじみのロイヤル・スコットランド国立管が良い味 を出しているのだが、これもSudokuをやっていたのでBaxの「北欧的な」雰囲気が聞けなかった。ー交響曲第一番、第三番。
 ごちゃごちゃしていて、やや理解に苦しむのだが、才能ある作曲家であることは分かっているツェムリンスキーの代表作である、『叙情交響曲』とベルクの管 弦楽曲のカップリング。相変わらずの「劇悪」(この人は「ちょい悪」なんてもんじゃない)おやじのギーレンがばりばり、きちきち、びしびししたもので、こ ういった曲には丁度良い。シャイーのような後期ロマン派へのアプローチではなく、新世代への橋渡しとしてのもの。これは「絶対盤」か。(独 ArteNova)

[ジャケットが違う。クリムトかアッテルベリか?]
 名匠ホルライザーはマイナーな曲が好きだし、それ以上に、オケをばっちり、がっちり抑えてまさに職人である。息子WagnerのSiegfriedも親 父と同様、交響曲をハ長調で一曲書いている。才能の差は明確だし、全体の纏まりが悪い。ロマン派の音楽ということは分かるのだが、なんというか、閃きと創 意工夫に欠ける。ほんのちょっとよい所もあるのだが・・・。第二版による録音のようだ。尚、ベルリン・ラジオ・響が名匠のもとかなり熱いハーモニーを出し てる。録音も極上!(墺Koch)

 先日購入したアーノンクールのハイドンは予想通りの素晴らしい出来。新発見というか、ほほー、と納得してしまうところが多々あり。アムステルダム・コン セルトヘボウも立派にアーノンクールの受けた「果たし状」を守っている。残念なのは、コンセルトヘボウのホール・トーン及びWarnerの優れた録音が、 ここではしっかり収録されていない。残念至極。


<本日聞 いた音楽>
 メ ンゲルベルク指揮ACO R.シュトラウス:『英雄の生涯』、『Don Juan』 独Teldec

(Teldecによる TelefunkenのHistoricシリーズの一つ。前者は初演者及び被献呈者である。それにしても今の聞き手からするとデフォルメしまくりのものだ が、「オーセンティック」という意味ではこれがデフォルトなのであろう。しっかし、メンゲルベルクは凄い。どのような音楽にでもさえ、ドラマと、文学性 と、ダイナミズムとロマンを与えてくれる。しかも、規定どおりの枠にはまったものではなくて、自分のもつ強烈な意識、思想を持って。
 この演奏は、多くのレーベルから出ているから、これからもダブり害ならぬダブり買いをしそうだし、現にダブっている。
 このTeldecのやつは「正規盤」だけあって、写真が絶妙である。Telefunkenで出ていたSPと『英雄の生涯』のごちゃごちゃ書き込まれたス コアである。SPの表面にはProfessor Dr. Willem Mengelbergとなっている。)


 コ ンドラシン指揮ACO ラヴェル:『ダフニスとクローエ』、カッセラ 蘭Philips

(限定版によるACOとコンドラシ ン・レコーディングの一つ。Liveで残念ながら、オケのコンディションも、録音もーひっこみがちー良くは無いのだが、コンドラシンの均整の取れた、ロマ ンティックな爆発が素晴らしい。うーん、やはり、弱気の録音が・・・気になってしまう。)


 アッ カーマン指揮PO J.シュトラウス:『こうもり』 EMI

(隠れた名盤である。カラヤンも、 ベーム、マタチッチも、あたまた、クライバーの演奏も知らないのだが、これは、非常に「ヴィーン風」の情緒を醸し出している。馥郁とした色気と艶、健康と もいえる退廃と、呼吸は、名歌手ともども指揮者の才能であろう!全く見事な録音とリマスター。)

die.17.oct.  肩凝りが・・・。風邪気味なのだが、それがあたかも未来永劫に続くかのような錯 覚が・・・。それにしてもこの肩凝りいい加減にしてくれ。三十路肩なのか?んなもん、あるのかいな?


<本日聞 いた音楽>
 ベー ム指揮ヴィーン国立歌劇場 R.シュトラウス:『ナクソス島のアリアドネ』 墺Koch

[Preiserのジャケット]
(これは、ヴィーン国立歌劇場のライ ブのシリーズであり、そのある意味最も意義ある記録である。なぜかというと、この上演日は1944-6-11で、R.シュトラウスの80歳の誕生日びおけ る「国威発揚」の一つなのである。恐らく、これはスタジオ録音かと思われるほど良好な音質で、演奏もすこぶるつきのもの。流石にこの時代のベームはR. シュトラウスの良い代弁者である。歌手も鼻血が出るような面子で、ライニングのアリアドネ、ローレンツのWagnerばりのバックス、ノーニのツェルビ ネッタ、そしてゼーフリートの極めつけの音楽家。
 録音も凄いの一言の素晴らしいもの。聴かでか!
尚、ベームの同曲は、流石に得意にー本当に得意に!ーしていただけあって、ザルツブルクでのライブ、そして65年の映像、そして、バイエルンとのスタジオ 録音ー未発売!なんたるーがある。)


 最近、上記の映像での『ナクソス島のアリアドネ』はまってしまって、しばしば聞いている。なぜかエレーデ指揮BPO、デラ・カーザのEMIへのスタジオ 録音、抜粋は少々粋と言うか、「ドイツ的生真面目さ」が面白くない。

don.19.oct.  あいも変わらず、日本では名指揮者の放送音源のCD化が積極的だ。今回は Kegel。早速自分のディスコグラフィーに追加して、Upする。こういうのは本当は面倒くさいのだが、直ぐにやらないと、仕事がどんどんたまっていって しまうのが分かるので、直ぐやるように心がけている。


<本日聞 いた音楽>
 ヴァ ント指揮NDR響 ブルックナー:交響曲第五番 原典版 独RCA

(Wandはブルックナー交響曲のマ イルストーンとして、生前この交響曲第五番と第八番を挙げていたが、誠にもっともなことである。実にシンフォニックであり、構築的であり、ドイツ・オース トリーの後期ロマン派の核を見事に体現しているからだ。特に、ゴシック的、バロック的とも称されるこのシンフォニーは、そのスケールの大きさは、他の彼の 作曲、及び他のシンフォニストと比較して遜色があるどころが、最高のものだと自負している。
 今年は、Botsteinの珍品?シャルク版を聞いていて、これまた面白く聞けたのだが、この「まっとうな」原典版がまさに原典であろうか?私は、 BPOの盤も、最近出たミュンヒェン・フィルとのライブ盤も聞いていないし、比較できるのがケルンのものだが、ここでのNDRのは勝手知ったる手兵のオケ で、気心がしれたものであり、尊重すべき記録であろう。

son.29.oct.  10日ぶりの登場。怠惰である。怠慢である。継続は力なり!

 EMIから出ているBoult指揮のWagnerの管弦楽集は見事だ。恐らく、Boultにせよ、録音にせよ殆ど注視されないものではあるが、素晴らし い!彼の良い点は、ロマンティックな爆発とスケールの大きい演奏だ。それでいながら、クレンペラーのようでも、テンシュテットのようでもなく、Boult のはBoultの演奏である。面白いのが、縦のアンサンブルが合わせない、合わせていないところが、「いかにもそれらしさ」を感じさせるのが一興である が、雑なのではなく、小を殺して大を取るようなもので、気にならない。特にNPOとのものが巨大だ。
 この人のは、マーラーの『巨人』、ブラームスの全集でもそうだったように、はったりとか、嫌味がないところで、クーベリックに似ていると思うのだ が・・・、どうであろうか?

[ジャケットは違うが。]

他にはなぜか廃盤のラインスドルフ指揮VPOのR.シュトラウス:『ナクソス島のアリアドネ』(Decca)。尚、VPOとの貴重な録音、『ドン・ジョ ヴァンニ』、『フィガロの結婚』も未だに廃盤!なんという、文明の無視であろうか!



<本日聞 いた音楽>
 クー ン指揮Orchestra Filarmonica Marchigiana R.シュトラウス:『グントラム』(第二版) 独ArteNova

(RSの光栄あるオペラ第一作目。廉 価で買える上に、テクスト付、オケ、録音、Liveでの高揚感があり、なかなかどうして素晴らしい出来である。)



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