sam.01.Okt.
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十月ですね。早いもので今年、2005年も後僅か。後三ヶ月です。三ヶ
月のうちになんとか吾身の
振り方ををしっかりとしたいものです。
九月後半は念願のイタリア旅行が出来たとはいえ、一生分の不運に見舞われたようなものでした。
でも、女性は可愛いかったし、食事も美味しかった。高いのが残念だが。また懲りずにイタリアへ行
きたいですな。今度はしっかりと。ね。
「前向きに!」
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sam.01.Okt.
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<本日聞いた音楽>
マゼールのマーラーシ
リーズ。その前には、ケンペ第一回目の『マイ
スタージンガー』。暫く前からようやくこの曲の面白さが身にしみてわかるようになり、最後の最後にてようやくWagnerの曲全てを肌につけることが出来
た。ケンペのは彼が常任だったシュターツカペレ・ドレースデン。Gebhardtからリリースされたものだが、LPでは米Uraniaから出たものだと記
憶している。彼のDresden時代のオペラ録音はこのほかには、『魔段の射手』、『薔薇の騎士』がある。前者は既にCD化されているが、なぜか後者はな
されていない。誰かはようしなはれ。スタジオ録音で一種「丁寧に」なされた演奏といえばよいか。
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son.02.Okt. |
寒さは部屋の中で
は大丈夫。こちらは、既に冬ですな。でも、予報では明日からまた、少しは暖かくなって「秋」になるようだ。本日も、終日新しいPCをいじっていた。早いと
ころこれを手につけたい。OSがドイツ語なのはしょうがないとしても、ワイドビジョン?のようで、幅が昔のと比較して横長で見やすいのはよいのだけれど
も、各種横幅の設定を自分好みに設定し直さなければならない。また、見やすい反面、眼が非常に疲れる。そのお陰かしらないが、よく眠れる。恥ずかしいこと
に非常なレヴェルで爆睡である。
<本日聞いた音楽>
 
秋のWagner週間。
ではないが、夏にWagnerをそれほど聞いていなかったのでその反動として色々聞いている。本日はベーム指揮バイロイトの有名な『さまよえるオランダ
人』。これ気がついたのだが、ゼンタ役のギネス・ジョーンズの歌唱はともかくも、ドイツ語がややきになるなぁ。引き続きオペラシリーズで、久々のジョル
ダーノの代表作『アドリアーナ・ルクヴルール』全曲。デッカのガヴァツェーニ指揮の名演奏で。溢れるイタリアン、叙情性にはドイツ語圏にはない魅力はない
のは当然のことながら、プッチーニの影に隠れてしまって、残念なほどのこてこてロマンティック。デル・モナコの熱唱と、スタジオなのにかなり熱いガヴァ
ツェーニの快演できまり。
TVでアッバードの演奏がやっていて、これがなかなかの演奏だったので、取り出したのがマーラー第七番。昨日マゼールので聞いたのだが、復習の意味では
私の一番気に入っているコンドラシン指揮レニングラード・フィルのもの。音質は例によって例によるが、演奏が切れ味優れ、やはりこの指揮者には駄演は無い
と再度確認した。

七
番シリーズはもうひとつ。お次はブルックナーで。ハース版で最も美しい演奏のひとつであるコンヴィチュニー指揮のGOLのもの。Wandのように鋼
鉄な味わい、ヨッフムのような森のような雰囲気ではなく、コンヴィチュニーのそれは、「木」を想起させるものだ。このようなものだから、ノーヴァクではな
くて、しっとりとくるハースが丁度マッチする。それにしても、コンヴィチュニー時代のGOLの音色のこくのあること!録音はかなり拡がりのあるモノーラル
録音といったところか。
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mon.03.Okt. |
本日は『ドイツ統一記念日』でお休み。外国人は関係ないけれども
ね。
なぜか、朝まで寝られず。ま、それもそのはず、前日、12時間ほど爆睡したせいか。兎にも角にも睡眠後、例によってPCの設定を。流石にこれだけやれ
ば、大丈夫であろう。これから毎日重要データはDVDに焼くことにして、やっぱり、眼が疲れますな。
<本日聞いた音楽>
本
日は重い曲連発。先ずは一発目は、メータ指揮ローマRAIの非合法版である『サロメ』。相変わらず音がもやけていて、輪郭がはっきりみえてこないが、ライ
ブゆえの重量感ある熱い演奏が繰り広げられていた。お次もRSもので、同じく非合法版のザヴァリッシュ指揮ローマRAIの『エレクトラ』。この指揮者は交
通整理がお得意のもので、スタジオとかライブとかそれほどびっくりするような演奏はないのだけれども、これは曲が曲だけに結構あおっていますなぁ。タイト
ルロールのニルソンは相変わらず素晴らしい。惜しむらくはやはり、モノーラルでしょぼい録音か。まぁ、正規盤じゃないからいたしかたないか。でも、大金を
出してまで、買うような演奏ではない。
 
(やっぱりオリジナルのジャケットは雰囲気がある。)
マ
ゼールのマーラーシリーズもようやく佳境へと。八番はもっと「祭典的」で「ゴージャス」なのが良いけれども、マゼールだから大体予想がついて、ドライでや
や一歩ひいた感あり。お次の九番はマゼールの体質にあっていて、次の世代への架け橋であるこの曲を等身大で、即ち世紀末、とか死への憧憬とか、文学性を抜
きに、大シンフォニーを描いている。VPOも冷徹さ、というかクリアーさを上手く出している。これは穴場だが、やはり意外と好きなマーラー全集である。冷
たすぎるきらいもあるかもしれないので、それが好悪を分けるかも。全体的に音作りは良いのだが、VPOや録音会場のくせが強すぎて、聞き疲れするかもしれ
ない。デジタルデジタルしているというか、金属的というか。流石天下のSONY様である。嫌味っぽい録音か?
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die.04.Okt. |
なんと本日は蚊のさされによって起床。最悪。部屋の中が暖かいか
らまだ生息しているみたいで、うれしくない同居人、いや同居蚊といったところか。なにせ、蚊の羽音を聞くと寝られないほど神経質なので。単なる言い訳か。
因みに目下読書しているのは、渡辺裕著『マーラーと世紀末ウィーン』 岩波現代文庫。
<本日聞いた音楽>

本
日もやはりマーラー。眼が覚めるほど勢いがあり、ロマンティックな爆発がある、ボールトの第一番は素晴らしい録音で有名なVanguard。少々能天気な
ほどの推進力だが、元祖ロマンティックな指揮者であるボールトはただたんに、ブラボー交響曲として解釈しない。LPOも信じられないほどの精密さでボール
トの棒についていっている。かなりの名演なり。

(カヴァーは最新版のもの)
お
次はケーゲル指揮ライプツィヒ放送交響楽団による、本当に丁寧な交響曲第四番。ケーゲルというと爆演とかヒステリックというのが殺し文句だが、それは実際
には違っていて、これほどなまでに丁寧でかつ、思いのたけを述べているのも良い。
た
て続きだが、第六番。いまいち存在が分からないレーベルCantusによる、ホルヴァート指揮によるフィルハモニア・スラヴォニカなる変名オケによるも
の。ライブなのかもどうかも分からないが、実に高精密かつ迫力・ダイナミズムに富む演奏。それでいて深いえぐりがあるのはやはりホルヴァートだから?

少
しマーラーを休んで、でも、関連あるものを。ツェムリンスキーの代表作である『叙情交響曲』他。シャイー指揮のACOで。カップリングの『交響的歌曲』の
ほうが更に楽しめた。R.シュトラウスのもつ派手派手しさ(けばけばしさ?)と、マーラーの持つイロニーを融合か?

(BerlinClassicsのカヴァー。私のはAV盤。)
マー
ラーに戻って、ザンデルリンク指揮ベルリン響による、クック+ゴールドシュミット編による交響曲第10番。不器用さと深みが微妙に溶け合っている、なんと
も形容しがたい演奏。シェーンベルクに向いていない、シューマン的後戻りにようなロマン派的演奏。
後
は大好きなマーラーの歌曲集。Ludwigの歌唱で。EMI。これ長いことほしかったんです。ドイツ語の正確な発音、そしてアーティキュレーション及び音
楽性。指揮者はボールト、ヴァンデルノートそしてクレンペラー!
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mit.05.Okt. |
本日も、痒さによって起床。なんともいえない気分だ。勿論嬉しく
はない。後味非常にわろし。結局昨日に引き続き、以下の本を読了。
渡辺裕著『マーラーと世紀末ウィーン』 岩波現代文庫。
マーラーを文化史的に考察し、特に世紀末、ヴィーン、社会構造、世紀末芸術などをその時代の「空気」を関連しながらとき解いたもの。なかなか歯ごたえが
あるもので、マーラー好きに限らず、世紀末大好き人間なら是非読むべき。ヴィーンを中心とした豊富な写真も挿入しているのも良いし、いままでのようにマー
ラーを伝記的に解釈しただけのものではない。これを読むにつけて、やはりマーラーは時代の一歩も二歩も先んじていたし、現代もその人気が衰えないのは彼の
持つ現代性、問題のアクチュアリティー、社会に対する批判精神をもつからであろう。
<本日聞いた音楽>

(輸入版のジャケット。)
マー
ラーシリーズ。それほど考慮にされないが、爽やかなスケール感とリリックさを聞くべきSuitner指揮のシュターツカペレ・ベルリーンによる第五番(徳
間日本版)。かなりテンポは速めだが、せかせかした感じだとか、神経質なところがなく、田園的というか、自然的なもの。神経質な一種のマーラー解釈に一石
を投じるのは事実であろう。もっと注目すべきである演奏である。

お
次は、確かチクルス第一弾であるはずの、ブーレーズ指揮VPOによる第六番。残念ながらDGの4Dなる録音が、小市民における音響装置ではまともに響かな
いのである。相変わらず明確な演奏で、さしものVPOもブーレーズ先生のもとかつては敵だったマーラーをそれなりによくこなしている。ただ、VPOの響き
自体が好きではないためか、どうしても全体像としての曲を全面的に楽しめない。それはDGご自慢の4Dの録音のせいも一役買っていると思う。
マー
ラーは少し休んで、バッハ。ヘルヴェッヘ指揮のバッハのミサ曲集。『ハ短調ミサ曲』以外にも小規模ながら4曲、キリエとグローリアだけのミサ曲を書いてい
る。
そ
の後は、Zemlinsky。昨日の引き続きで2CD目。彼の『フィレンツェの悲劇』というワイルド原作の一幕ものの小品。
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don.06.Okt. |
本日も「起こされた」。まぁ、午前九時だからしょうがないとはいえ、
裏庭のどこかで工事をしている。騒音、特にモーター音に極めて神経質なので、不快感この上なし。まぁ、いつでも『田園』というわけには行かないのは重々承
知なのだが。
マーラーは音だけではなく文献で知りたくなる作曲家の一人である。一つの本はとりあえず、各交響曲を聴きながら曲の解説を読むとして、本日は以下の本を
読み始めた。そういえば、初めてヨーロッパへきた1995年、それはヴィーンである、にもこの本を同行して町のあちこちでマーラーの痕跡を捜し歩いたっけ
か。残念ながら、シリーズは既に終了してしまったが、豊富な写真と、コンパクトな解説で有名だった、新潮文庫のカラー版、作曲家の生涯である。このシリー
ズ、ハイドンとR.シュトラウスがないのが痛いのだが、かなりお世話になっており、一年に一回は毎年必ず読んでいる。『マーラー』のほうは船山隆が書いて
おり、マーラーの生涯を焦点にあてたもので一番てっとりばやいであろうか。綺麗で適所である写真をみて、マーラーゆかりの都市に行きたくない人はいないで
あろう。今でも「彼の街」、愛憎半ばのヴィーンに想いをはせる。
<本日聞いた音楽>

クー
ベリック指揮の全集から第一番と第二番。残念ながらかなり前の発売なので、いつも録音の、というかリマスターの悪さにフラストレーションを募らせてしまう
が、全集としての出来上がりが特上である。スタジオでもこのようにハイレヴェルでの出来上がり、緊張感と、盛り上がりが単なる「お仕事」を超えて、ちゃん
とした「立派な音楽」として構成している。カヴァーは相変わらずクリムトの絵である。

初
期のを聞いたらなぜか『嘆きの歌』も聞きたくなったのでとりあげあのが、ご存知ラトルのもの。彼にとっては初期の録音だが、なかなか明快な出来上がり。盛
り上がるところは盛り上がるのだが、どうも、それ以上のものがない。しかしそれでも、しょぼいオケをよくぞここまで精密にしたか、という実績は買うべきで
あろうか。
後は昨日の残りであるヘルヴェッヘ指揮バッハのカンタータ集。
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fre.07.Okt. |
月曜日に親に頼んでおいたスモールパケットは金曜日である本日午
後に着く。民営化されたドイツのポストも結構がんばっておりますな。ただ、扱いは酷いけど。
マーラー本は
船山隆著 『マーラー カラー版 作曲家の生涯』 新潮文庫
ど読破。この本も一読をお勧めします。
<本日聞いた音楽>

クー
ベリック指揮の全集は第三番、第四番へ。正直いって第三番のほうはあまりに、自然主義的な表現で、Soltiの第二回録音がベストだと思っている小生に
は少々リリック過ぎるか、と贅沢な注文をしてしまう。確かにSolti指揮シカゴ響と比較するとつめの甘さが聞こえてしまうは事実だが。第四番は数あるこ
の曲の中でもトップを争えるくらい優秀な演奏。独唱は少々弱いけれども。
ク
リップス指揮ヴィーン響による珍しい『大地の歌』は、甘美な言う所の「世紀末的退廃美」を小規模に、というか室内楽的に(セルやライナーのそれではな
い)
解釈したもの。解説書をひもとくと、これDigital RemasteringがTonstudio Eichinger,
Wienとなっている。あのEichingerが関わっているであろうことは確かである。尚解説は、Gottfried
Krausである。悪名高いコンビ。演奏は美しいがこじんまりしている。正直なことを申せば、以前よりもこの演奏感銘を受けなくなったのは、クレンペラー
の「絶対的な」演奏のせい?
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son.09.Okt. |
相変わらず面白くない週末。食欲もそれほどない。インターネット
の接続でストレスが上限に。ふざけるのもいい加減にしてほしい。こんな状況では誰でもぶちきれるよ。まったくこの低脳が!このお陰で何をしても楽しめな
い。
日本は10/10は体育の日だそうですな。
<本日聞いた音楽>

クー
ベリック指揮の全集は第七番のみ。流石に昼間から聞く気になれず、名前の通り『夜』から聞きだす。やはり、少々つめの甘さが目立つかな?特に両端楽章。中
間三楽章はなかなかよくつくられてはいるのだが。
昨
日からDonizetti。セラフィン指揮ミラノスカラ座による『愛の妙薬』(EMI)はセラフィンという名指揮者をもって、ミラノスカラ座をもって、名
歌手たちをもっても面白くない。一体どうしたというのだ?お仕事お仕事、というかてんで「生気」を感じない。やっつけとも思
えないし、楽譜どおりに「忠実に」解釈したとも思えない。
お次は隠れた名曲である、かつてはライヴァルであったが早世してしまったベルリーニのためのレクイエム。こ
れは数あるレクイエムの中でもカンタービレがきいていて、叙情纏綿である「いかにもイタリア的な」レクイエムだと思うのだが。ラハバリ指揮のプラハ・ヴィ
ル
トゥオーゾなるものだが、全くヴィルトゥオーゾでもなければ、名録音でもない。下品極まりなく、録音も初期の最悪なNaxosを想起させる酷い出来。曲
が素晴らしいだけに、まったくもって残念である。尚この曲は、シュタインがスイス・ロマンドとDeccaに録音している。
本日はケルテシュ指揮ヴィーンオペラ座管による『Don
Pasquale』。余白にはCimarosaの『宮廷楽士長』が収められている。ドライでさっぱりしている、Soltiにも相通ずる解釈、ハンガリー出
身の指揮者の特有である、といったとこ
ろか?両曲ともCorenaがやはりいい声を披露している。(Decca)
マーラーの本を読んでいたら、ゲルンスハイムのことが奇しくも書かれており、早速彼の全四曲の交響曲を聴く。正直いって集中できなかっ
た。
|
mon.10.Okt. |
祭りは終わり「ぬ」(完了形)。
ようやく亡国いや某国の首相が決定された。東ドイツ出身、しかも女性、しかも、恐ろしく醜態、さらに馬鹿。これが現状のドイツの「代表」なのである。所
詮、ドイツでは大連立はうまくいかないから、数年後に潰れるのはわかっているのだが-重要ポスト、しかも以前に批判しまくったポスト、外相、蔵相をSPD
に渡す;高い失業率、反米政策など-笑止千万の野合に他ならない。これで、「中央ヨーロッパ」であるところのドイツが湿地挽回、いや失地挽回するとは到底
思わない。正直言って、現首相のシュレーダーの進退の様はやっぱり、ドイツ及びドイツ人は民主主義ではないことを如実にあらわした、他ならない。正直言っ
てみっともない。これが、「ヨーロッパの、しかも西欧の」理性とは笑いに失する。ドイツ国民ではなくて良かった、という日である。
そうえいば、先日以下の本を読破。オリジナルのドイツ語の方もあるから、そっちも読むとしようかな。アドルノのドイツ語は不可解だが。

*ヴォルフガング・シュライバー 著、岩下眞好 訳:『マーラー』 大作曲家 音
楽之友社
基本、伝記形式だが、曲の紹介に、マーラー解釈の基本である、ベッカー、アードラー、アドルノ、シュテファンの他に、ヴァルター、ミルデンブルク、バウ
アー=レヒナーなどの資料を用いていて、或る意味多角的に検証している。これまた豊富な写真満載だし、翻訳もかなり良い線をいっていると思う。
<本日聞いた音楽>

クー
ベリック指揮の全集は第八番(CD-Playerの抵抗・反抗にも遭いながらも)と第九番(この曲のベストに入るのではないか?)。諦念というか、大いな
る自然を謳ったもので、死への審美をわざとらしくあげつらった他の演奏とは一線を画している。全集の中かなり初期のものだが、オケも録音も意外としっかり
している。何も、新しいから全て良いとは限らないのである。
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die.11.Okt. |
本日は少々コラムめいたことを。
最近気になったことだが、新しいPCを買って以来データのセーブにDVDを使用している。即ち、以前にはCDRWで焼いていたデータを容量が約6.5倍
になったDVD+RWである。個人の使用するデータなどそれほどないとおもっていた、いざ実行してみると意外とあって、既に1Gbを超えている。過去には
FDDやら外付けHDDやら、高額なものを購入して単価はそれほど安くなかった。HDDの場合であるが。このPC自体は最新のものでなんと80Gbの
HDDが実装されている。
私はノーブランドの製品はそれほど信用しておらず、過去にCDRWで失敗した経験をもつからだ。今使っているものはPhilipsで、TDKもなかなか
良い。なにせ、エラーが少ないし、Philipsのそれは全幅の信頼を置いている。このDVD+RWというやつはDVD-RWと比較して書き込みスピード
が速いそうで、短気な小生にはもってこい。4.7Gbだと標準で120分のVideo映像が出来るそうな。
で、本題。これだけの容量ともなると、既に市場には出ているものの、数が少ない、DVD-Audioだとベートーヴェンの全集が殆ど一枚、RAMの方だ
と9.4Gbでマーラーやブルックナーの全集が、音として1枚にすっぽり入る。Denonは御存知インバルのマーラーを『第十番』と『大地の歌』を除いて
これで出したと覚えている。
話をすすめると、いやここが重要なのだが、一体クラシックファンはこのようなDVDによる全集をありがたがる、や否や、ということである。CDはカラヤ
ンのお陰をもって、第九が入るように発売されたのは有名な話だが(Ring全曲では無いところがミソ。)いまや技術革新が進行し、上記のような結果になっ
た。私は専らCD世代だが、少しはLPのことも知っているはずで、第九の第三楽章でぶったぎられる思い出(ミュンシュのやつです)も懐かしい。所謂クラ
シック愛好家、というのは大体どこでも、世界中、保守的で、ハイソで、経済的にもしっかりしていて、年長の男性が多い、のは事実。故に、シンフォニー一曲
を一枚、それも、しっかりとした、重厚なデザインで、見た目にも、感触的にも「重い」方がクラシックという「思い」を十二分に感じ入るはずだが、件の
DVDだと、利便性は非常に優れているとはいえ、上記の「思い」が希薄になり、恐らく抵抗感や「なんだかな-」という気分になるのではないか?
事実、MP3でSoltiの高名なるRingがCDR1枚に収められたとき(当時)、自身もそういう思いに駆られた。この場合は流石に音質の問題がある
が、今やDVDの登場でそういう危険性は回避された。だがしかし、CD場合によってはLPで一枚一枚、即ち一曲一曲を慈しんだ、楽しんだ時代から跳躍して
現代になると、こういった傾向はなくなってしまうのではなであろか?ベートーヴェンやブルックナー、マーラーは当然のこと、小生のもっているBoxコレク
ションでいえば、RingなどはDVD-RAMで優に一枚で、ハイドンの全集も恐らく2-3枚で済んでしまう。RAM以外のDVDでも、今までの1/6で
OKになるのは事実。こういった場合の利便性は数少ない枚数で、ということは物理学上変更できない、空間にも適合しているし、なにしろ環境・自然保護にも
やさしいのは頷ける。問題はといえば、膨大な数のトラック、及びそのために聞き手である我々は「聞く気」を殺がれてしまう、ということ。更には、人間的な
楽しみ・娯楽である鑑賞が、苦痛ともなりかねないこともあるかもしれない。
結論を出すのは性急だが、純個人的にはCopyなどには便利だが、楽しみ、というその一点ではCD1枚のそれに及びもつかないと思う。例えば、膨大な量
のページ数の書類は(たとえそれが少量でも)やはり、モニターで「見る」、よりも印刷をして実際この手で持ち、「読んで」みたい、そういう感覚に似ている
はずだ。
とこんなことを考えたわけである。
本日のマーラー本は、
*張源祥著『ブルックナー マーラー』音楽之友社 1971第一刷
から「マーラー」部のみ。文献としてはやや古い部類に入るが、内容は悪くは無いと思う。
<本日聞いた音楽>
昨
日から天才芸術家のミケランジェーリの技・芸に酔っている。曲目はハイドンの一番有名なピアノ協奏曲第11番、モーツァルトの13,15,20,23番。
何れもライブである。指揮者も名指揮者揃いである。その他には同じものでシューマン、リストの一番。3CDセットで伊Frequenzの非正規版。
そ
の後は結構好きな、クレメンティの番号つき交響曲集。シモーネ指揮フィルハーモニア管で。作風は初期のシューベルトをもう少し聞きやすくした感じか?
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mit.12.Okt. |
最近中庭の周りの住居で朝から工事をしている。本朝もそれ。もっ
とも、その前に7時前に自然と目が覚めてしまった。これじゃ睡眠不足だから昼寝をしたが、どうも、相変わらず変な生活リズムだ。
で、本日のニュースはあのSleipnirが
ようやく正規版として2.00を公表。いつもお世話になっています。本体自体は1.66の時と比べてかなり容量が増えたが(1Mちょいから10Mへ)、使
いやすさは変わらないし、ほんと、痒い所に手が届く、感じ。少し細かくなりすぎた感じがないはないので、慣れるまで時間がかかるでしょうね。それにしても
ご苦労様です。重宝していますよ。
<本日聞いた音楽>
セ
ラフィン指揮ナポリ サンカルロ劇場によるDonizetti『シャモニーのリンダ』(Philips)。これは少々面白みに欠けるか?
海
賊もどきのPecoなるレーベルで出ている、シャンゼリゼライブである、フランス国立管をヨッフムが振ったブルックナーの第五番と第七番。第五番は指揮者
の煽りにオケが充分についていけず、空中分解すれすれである。観客の方もブルックナーに慣れていないのか、はたまたフランスのオケメンもブルックナーの真
髄が理解できていないのは、それほど「幸運な結婚」とはいえない。69年のライブにしても、薄っぺらい音で、海賊版の限界がもろにでている。他方80年の
第七番は晩年のヨッフムのこくと深みのあるものだが、オケのフランス的味わい、勿論管のそれ、がドイツのそれとは絶対的に一線を画しているのは当然といえ
ば当然。それにしてもヨッフムの同曲はSPから勘定して一体いくつ演奏があるのであろうか?そういえば、この演奏がDVDで出たのかな?

注目すべきはバルビロー
リ指揮NPOのマーラー第五番。(EMI)なんという思いのたけを濃厚に、連綿と訴えていることか。実は今までにこのCD、購入してから2-3度しか聞い
ていなかったし、どうもぴんとこなかったのを白状せねばならない。しかし、なぜか、心境の変化故か、じっくり聞いてみると、ようやくこの演奏のもつ意義、
重さ、が痛いほど身に沁みた。バーンスタインとは違ってはいるが、ベクトルは似ている、でも根幹は違う一種の慟哭、愛情、不安、深刻さが神経質ではない、
他の場面で痛切に聞き手の肺腑を抉る。まさに、バルビローリ節ここにあり!なにせ、彼は、「音楽の情緒的な内容を再現し、伝達するという点では、本当に名
人だった」のであるから。
|
don.13.Okt. |
本日は人と会う。久しぶりに喋りまくったかんじ。流石イタリア人
である。残念ながら、勿論こちらの側もそうなのだが、男性だが・・・。すきっ腹にビール(小さいけど)二杯は効いたかな。家へ帰って買い物をして寝てし
まったのだった。これで、また夜も長くなる。秋の夜長か?
昨日数時間で感銘を受けながらも一気に読んでしまった本。それは。
*柴田南雄著 『グスタフ・マーラー -現代音楽への道-』 岩波新書280
いわずとしれた名著で、マーラーの音楽を、日本での有数の音楽批評家(特にバルトーク)そして、自身も作曲家だった氏が残した、一曲ごとに音楽史を俯瞰
するように、またベクトルをこちらがらに向けた解釈した、マーラーへの愛情を感じる素晴らしい一冊である。ただし、全てに賛成しているわけではなく、所々
作曲上での問題点、及びマーラーの音楽のもつ一種の欠点もしっかりと書き連ねているのが逆に好感がもてる。だからといってこの本の持つ魅力、ひいてはマー
ラーの音楽のもつ魅力を減ずることは無い。また、所々ウィットに富んだものなども、流石教養人・文化人であると感嘆せざるを得なかった。
曰く「特殊楽器をスコアに書いてしまうと、作曲家はそのことで上演のたびに苦労するのは昔も今も同じだ。」
それにしても、交響曲第三番の冒頭、八本のホルンが全奏ところ、が如何に音楽史上、また文化史上重要なのかがいままで読んだ関連本でも分かったのだが、
この重要性はハイドンの『天地創造』における冒頭、ハ短調からハ長調へかわる、「光あれ!」と同様であろう。
<本日聞いた音楽>

御
存知マーラーシリーズはクレンペラーへ。彼のEMIへの録音一連のシリーズの中のひとつ、『第二番』を。少々際物めいた音楽だが、かのクレンペラーが録音
した、というのも興味深い。解釈はいつもの彼らしく、まさにそこに音楽が為っている(鳴っている、ではない)もの。正直言って決して聴きやすい解釈ではな
いが、その音楽への深さ、哲学的洞察さえ感じてしまうのはやはり指揮台からのオーラであろう。表面的効果を決して狙わない、奥の奥に「こころ」を見つける
手腕であろうか?
|
fre.14.Okt. |
今晩は久しぶりにコンサートへ。駅の広告で最近発見したもので、
昨今自分の中でブームである、マーラーのしかも、『嘆きの歌』を含むコンサート。この曲は確か、二部版、所謂改訂版での演奏をナガノ指揮BPOで聞いたこ
とがある。今回のコンサートは「歌」、シリーズで、前半がブラームスの『運命の歌』、ノーノの『愛の歌』(ティンパニー他特殊楽器とアカペラ)、そしてお
待たせ『嘆きの歌』である。前半は、『嘆きの歌』の第一部でぶったぎられたが、これはそれほど効果的であるとは思えない。なぜなら、作曲家自身、確かに一
度は一部を改訂及び削除までしたものの、その後元に戻したからだし、この復活上演であるブーレーズ以降ちゃんと三部そのまま上演するのが「常識」になって
いるからだ。
指揮者は女性指揮者!でBerliner Cappellaの芸術監督であるKerstin
Behnkeなるひと。オケは御存知ベルリン響である。実はインバルはここの常任をもうすぐ辞任して、Lother
Zagrosekに受け渡すことが最近知られた。正直言って女性指揮者の指揮ぶりは少しも面白くない。オケは相変わらず前半は白けたムードで、エンジンが
かからない状態だったが、休息のあとようやく熱くなって、音楽も聴衆も報われた感じ。しかしながら、観客は金曜日の夜の割には、がらすきで、一番安い席を
購入したものの、三階の後ろの席にも拘らず、三階自体をクローズする有様で、結局殆ど自由席状態であった。インバル自身は録音も上演もしていないけれど
も、プルトに立っている指揮者が彼であったならば、と思った次第。是非、マーラー指揮者らしく、この曲もレパートリーにいれてください。この曲を「全集」
という形で残したのは僅かにシノーポリのみ。ブーレーズ自身はこの曲の復活上演指揮者だが、彼のDGへの全集はこの曲も入れるんであろうか?ハイティンク
も実は録音があるのだが、永らく廃盤だし、あ、そういえばシャイーの素晴らしく瑞々しい解釈もあったかな。ラトルもあるけれども、これは全集に入るのか
な?とにもかくにも新世代の指揮者にはこの曲は『全集』の一環として認識されているはずだ。喜ばしい哉。
『運命の歌』は手持ちがないために今は滅多に使用しないMDをアンプに繋いで。ブロムシュテット指揮NDRの1997年ライブで。メロディーは別とし
て、この曲意外とブルックナーの合唱曲のそれと近似したものがある。ノーノの方は勿論手持ちがない。
<本日聞いた音楽>

昨
日から、今晩の予習の為に、この曲の最高の解釈と信じている、即ち0から解釈しなおした感じ、伝統とか常識とかに囚われないフレッシュなもの、ティルソ
ン・トーマス指揮サンフランシスコ響によるもの。(RCA)。ブロムシュテットは悪くはない指揮者だったが、なにせ色がないもので、ロマン派の解釈は一本
調子の感が拭えなかった。しかし、MTTはオケのコントラスト、色の豊富さ、そして、独自的解釈の上で数段上だ。彼は今でもそうだが、これから先もっと良
い指揮者になるはずだ。相変わらずのRCAの録音も極上。MTTは他のレーベルでマーラー全集を今作っているが、これはなかなか楽しみなものになるであろ
う。残念ながらSACDで発売がメインだし、単価自体も高いから小生の手の届くような価格にはならない。しかしながら、マーラーに限らず注目すべきコンビ
であることは確かだ。
|
sam.15.Okt. |
随分と朝晩が冷え込んできましたよ。例によって未だに「夏時間」
だけれども、既に冬いや、晩秋と思いたい、かな。
<本日購入した
CD>

@
ベーム指揮シュターツカペレ・ドレースデン ベートーヴェン:『フィデリオ』(全曲) 独DG 12.99E

@ヘーガー指揮オーストリア大放送管 プッチーニ:『マノン・レスコー』(ドイツ語版全曲) 独Walhall 3.99E

@フリッチャイ指揮ベルリンRIAS響 ヴェルディ:『リゴレット』(ドイツ語版全曲) 独Walhall 3.99E

@ヴォットー指揮ミラノ・スカラ座管 スポンティーニ:『ヴェスタの巫女』(イタリア語版全曲) 独Andromeda 3.99E
<本日聞いた音楽>
ベー
ムの代表盤である、『フィデリオ』。彼のは正規録音だけでも4種類(戦中ヴィーン国立、日本でのライブ、このドレースデン・スタジオ盤、ミュンヒェンでの
ライブ)もあるし、実際彼はこの曲をしばしばとりあげ(戦後のヴィーン国立歌劇場のオープニングではこの曲であった)、得意にしていたようだし、思いのた
けを込めている。オケのせいなのか、録音そのもののせいなのか、それとも単なるリマスターがへぼいだけなのか(同時期の『薔薇の騎士』でもそうだった)、
音としてはそれほどクオリティーは高くないが、曲への熱い眼差し(ベームにしては珍しい)が嫌味ではなく、好感を持てる。ベームはスタジオではとてもでは
ないが、面白い演奏だったり、熱い解釈はしてきてないが、ここでも丁寧ながら(面白くない演奏、を少しだけ言い換えただけか?)所々感情をぶちまけてい
る。やはりベートーヴェンの『解放オペラ』はこうでなければなりませんよ。最後はどんな演奏だって盛り上がるのだが、もう少しフリオーソなほうが好きか
な。
『フィデリオ』は運命的なオペラ、ベーム曰くそうらしいが、実際、戦後ドイツ語圏のオペラ座が復活、若しくは劇場が復興される際には必ず演奏されたし、
『魔笛』を別として、ゲルマン人が喜びそうなもっともな内容、音楽、オペラであることは否定できない。私自身もこの曲が大好きで、聞くとやはり感動してし
まうのは事実。CDも結構もっている。第一幕は少々弱い感じがしないでもないが、第二幕では最初から最後まで「人間愛」、きな臭い、胡散臭い内容だが、そ
れでも直感的に感銘を受けるのはやはり作曲家ベートーヴェンのお陰か?ドイツ系の指揮者はやはり得意にしているし、よく取り上げる。意外とありそうでない
のが(指揮はしたではあろうが、録音として残っていない)、カイルベルト、ケンペ、コンヴィチュニー、ケーゲル、スィートナーなどは放送録音でも残ってい
ないものか?フランス系指揮者は勿論のこと、イタリア指揮者はトスカニーニ以外、上演はともかくも、取り上げないのはやはり曲の持つ思想故か?グイ、セラ
フィン、プレヴィターリ、ロッシあたりなら面白そうなのだが。ビーチャムもないかな?
お
次。学期前の最後の週末だからどんどん行きます。本日買ったスポンティーニの代表作オペラである、『ヴェスタの巫女』。これ、Cetraから出ていた
Previtagli盤をもっていたけれども、カラスが出ていなかった。あれは放送録音だったようだが、これはスカラ座でのライブ。ライブだからというわ
けではないが、これはかなり面白い。スタジオ録音では分からなかった、面白さ、あぁ、やっぱりこの人の音楽はWagnerにかなり影響を与えたな、と思わ
ざるを得ないし、メロディーや合唱の扱いなどが、かなり好きです。録音は流石にお世辞にも良いとはいえないけれども、ま、所詮こんなもんでしょうか、50
年代のイタリア・ライブなんちゅうものは。
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son.16.Okt.
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気がついたのだが、こりゃ、欝気味だ。ま、気がついただけ良い
か。毎年の恒例行事だが、やはり嬉しくないねぇ。10月中旬に発生、既に上旬からか?するのは珍しいが、まぁ、これが終われば躁状態になるはずだから。
今宵は綺麗な満月である。
<本日聞いた音楽>

昨
日に引き続きSpontiniの『ヴェスタの巫女』。本日はPrevitaliのスタジオ盤(伊Cetra)。正直言って、悪くはないのだが、やはり昨日
聞いたライブでの臨場感やら緊張感がないし、少しだけカットしている。Votto盤には第一幕の最後にバレエを挿入していた。奇妙なことだが、ぬけのよ
さ、という点では音質が酷いライブの方に軍配が上がった。全体として俯瞰するのであれば、こちらのスタジオ盤の方が「完成度」としては高いのだが。「面白
さ」という点では劣る。

こ
れも昨日に引き続き『フィデリオ』。私のベスト盤でもある、クレンペラーの高名な録音(EMI)。Great Recordings of the
Centuryのシリーズの中の一つ。フローレスタンのJon
Vickers以外はドイツ人キャストで固めているのが良いし、なんといっても、元祖「劇場人」クレンペラーの存在感が光る永久にその光を失わない演奏で
ある。歌手では男気(尤も金が大好きな、拝金主義者役だが)を感じるGottlob
Frick。尚、レオノーレ第三番は最後に挿入されているし、録音年も違う。所謂序曲集として録音されたものと一緒。だが、やはり、これはオペラと一緒に
演奏・録音されるべきであろう。因みに私の考えでは、第15場のデュエットと序曲、更には第16番のフィナーレをアタッカで結んだほうが、臨場感及び、劇
的だと思う。その場合は、第二幕の半分、約30分を休み無しで演奏しなければならないが。クレンペラーはモノーラルでも、EMIに第三番序曲を録音してい
る。全曲としてはハンガリー語でのライブがあったはずだ。
後
はクロンマーのクラリネット協奏曲(Naxos)、少々オケものに憑かれた、いや疲れたので珍しくもピアノもので癒される。バックハウスのシューベルト、
シューマン、メンデルスゾーンなぞを(Decca)。更に敬愛するリパッティの最後の演奏会の模様を(EMI)。殆ど感動無しでは聞けない稀有なライブで
ある。
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mon.17.Okt. |
ニュースでもしばしば使われているが、「黄金の10月」、本日は
まさにそれ。ドイツはそれほど「秋」という概念が無いが、それでも、中庭とか、公園などの紅葉などをみると、やはり自然の哀愁をいやがおうにも感じさせ
る。
こういう少々塞ぎ込んでいる時にはブラームスがよくお似合いだ。
<本日聞いた音楽>
ク
レンペラーシリーズが始まりました。先ずはブラームスの交響曲第一番他と第二番。それほど有名な録音ではないが、後期ロマン派をかなりドライに、というよ
りも冷静かつ真摯に解釈したらこうなった、という良い見本ではないか?ブラームスの交響曲は指揮者にとってベートーヴェンに引き続き試金石であろうことは
容易に想像がつくが、ここまで醒めて見るのはやはり画期的だと思う。ブラームスの音楽はただでさえ安易に使われているようにロマンティックな音楽だが、ク
レンペラーはそれを通り越して、というか突き抜けて、音のもつ重みに重点を置いたものだ。昨年全集として件のartリマスターシリーズででたが、小生所持
には94年にEMIのクリスマスBoxででた、ロマンティック交響曲の一つの中に入っている。その中身は、ブラームスの全集、ブルックナーの4,7,9、
メンデルスゾーンの4,5、シューベルトの8,9及びシューマンの交響曲である。マーラーが入っていないのは疑問符をつけたい気もするが・・・。

後
はフリッチャイ指揮の『リゴレット』(ドイツ語版)とか、例によって大好きなクロンマーのクラリネット協奏曲とか(harmonia mundi
France)。
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mit.19.Okt. |
最近、イタリアワインにはまっているのだが、というか安いので
ね、今飲んでいるのはNegroamaroというピエモンテ産のもの。少々甘いのだが、嫌味ではない赤。同じく珍しくはまっているのはベートーヴェン。
マーラーに引き続きである。やはり、一度ついた火はなかなか消せないのである。特に彼の唯一のオペラ『フィデリオ』はドイツオペラ不朽の名作である。
<本日聞いた音楽>

『フィ
デリオ』ついでに聞いたのはこの第一稿であるところの『レオノーレ』。(オペラ『フィデリオ』自体は第三稿である)はブロムシュテット指揮シュターツカペ
レ・ドレースデンのこの録音と、ブレーゲンツライブでのライトナーの酷い録音のものがあるけれども、このBerlinClassicsの演奏は質が最高の
ものであると思う。なぜ、ブロムシュテットがこのオペラを録音した動機が不明だけれども、ドレースデンのまさに燻し銀の演奏とアダムをはじめ渋いながらも
味わいのある歌唱を披露しているこの録音は絶品であろう。尚、第一稿は現行『フィデリオ』第二幕ではなく、第三幕となっており、現行第一幕のドン・ピ
ツッァロの登場のところが第二幕へとなっている。音楽も劇的というよりかは、当時の普通のオペラ仕立てとなっている。尚、初演は不運にも大失敗を催したよ
うだが、それもそのはず、観客が当時のヴィーンの支配者であるところのナポレオン配下のフランス人兵士だったそうな。しかも、一種愛国的とでもいうべきこ
のオペラが失敗に終わるのは明らかであったであろう。このようなゲルマニズムはラテン系民族のメンタリティーには理解しがたいものだからであろ。これらの
録音の他に、新しい所では(第一稿)Gardinerが録音している。古いものではアルトマン指揮バイエルン放送響のがあった。尚、最後の大詰め場面では
やはり現行『フィデリオ』の方が感動する。
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fre.21.Okt. |
花金である。本日は特別に用事がなかったので、久々に図書館へ
行って、必要な文献を探し、読解する。

一昨日及び、昨日と二夜に渡って公共放送のARDがドイツ人が初めて描いたヒトラーの映画を放映。既にDVDで見ているものの再度見たが、所々カットさ
れたところも再現してあった。これで少しは納得はするが。内容はヒトラー最後の日々、で女性私設秘書のTraudl
Jungeなるひとが晩年に描いた、一応は「真実」である。ヒトラーは人間的に描くかとうか、が以前よりドイツで話題になったが、正直言えば内容はかなり
メランコリックというか、メロドラマ風のそしりを拭えない。これは監督、脚本の稚拙なせいでもあろう。たんたんとしているようで、意外と涙をそそらせるよ
うに仕向けているが、その一貫性の無さが内容はともかくも、二流であることには間違いない。アメリカ的に面白くさせるのも一つの手だが、勿論そんなのは期
待していないし、ドイツ人には出来ない。それに、そう描く必要性も感じない。話題にはなったが、どことなく完成度としては落ちる。また、ヒトラー役の名優
ブルーノ・ガンツはともかくも、側近のゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー、ボルマンなどが殆どにておらず、逆に興醒めである。尤も、更なる脇役のクレプ
ス、モーンケ、ヴァイドリンクの演技が光った。また、設備や技巧の幼稚さが分かるだけあって、この点でもかなり辛い点にならざるをえない。娯楽としても、
ドキュメントとしても落ちる作品だ。
DVDではなぜか、3種類も出ているようだが、このセールスもまずいであろうな。

本日は見る気が無かったのだが、たまたま食事中にTVをつけていたら、面白そうであったので、途中からだが、結局最後まで見てしまった。97年製作のア
メリカ製『The
Game』というもので、M.ダグラス、S.ペンが出ているもの。一種のサイコ・ホラーというべきものであろうか?シーン毎の巧妙さ、リアリティーと夢・
空想の区別が分からないのでまさに魅せられる。一瞬たりとも飽きさせるところがないのは、監督と俳優の優秀さ、というよりも芸術的なまでの表現であろう。
最後は予想できる内容なのだが(なにせ、M.ダグラス主演ですからね)、展開の意外性と、「途中までの」予測不可能なところが面白かった。最後はまぁ、予
測できたにせよ。
<本日聞いた音楽>
映
画がかなり長かったので、音楽を聴く時間はそれほど無し。しかし、まぁ、秋の夜長だし、どうせ週末だから、夜遅くまで楽しみますかな。
DG
のeloquenceシリーズの中でHistoricalである、ライトナー指揮ヴィントガッセン歌唱の、ヴァーグナー:『ヴァルキューレ』第一幕。リマ
スターもそれほど巧いと思わないし、スタジオ録音でのしょうしょうこじんまりした感があり、ヴァーグナーの音楽をたとえ音質劣悪でも、ヒストリカルのライ
ブで楽しんでいるものにとっては、劇場的うねり、というか劇的興奮が余り感じなかった。やや官僚的、お役所仕事的な録音。悪くはないのだけれども、だから
といって納得するわけでも無い。

クレンペラーのEMI録
音シリーズは引き続き、ブルックナーへと駒を進める。昨日の第四番は正直言って聞き手の私が集中できなかったので、コメントを差し控えるが、今宵の第七番
はその深みと或る意味の客観性、瞑想的なものが琴線に触れた。彼の作りだす音楽は良いとか悪いとか、好きとか嫌いとかではなくて、もっと高次元のものであ
る。よって、即座・即興的に好きになることは或る意味では不可能だが、その比類なき孤高の格調の高さはやはり彼以外では創造しうることが出来ないものであ
る。見事。こういう芸術に対してはただ単に、美しいという表現は似合わないであろう。尚、版は原点版だが、ノーヴァクを基礎としたものであろう。
続く第九番も宗教的孤高さで、この曲随一の演奏であるには吝かではない。
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sam.22.Okt. |
なんだか、生暖かい日。少々気持ちが悪い。雰囲気的に。今晩は韓
国料理屋大繁盛でしたな。
<本日聞いた音楽>

美
しいWagnerは如何?そういう点においては右に並ぶものの無い演奏、指揮者。それはハイティンク指揮バイエルン放送響。シュターツカペレ・ドレースデ
ンの『薔薇の騎士』でもそうだったのだが、この人の演奏特徴はやはり、柔らかい美であろう。勿論、その美を表現するために、何かを犠牲にしているのは確か
なのだが、指揮者のHaitinkは元々そういう人だから、これを犠牲と考えないでもっとポジティブに構成しているはず。それも、ただたんに耳に心地よい
音楽を創るだけではなく、奥深くはないまでも、心の中に何かを残してくれる芸術家であろう。
普段はへぼいEMIの録音も、流石にバイエルンの録音(録音場所、年代が書いていないんだな)の音響効果は抜群で、実はこれHaitinkの芸術観にも
マッチしているのではなかろうか?歌手ではPoppのエリーザベト、ヘルマン国王のMoll(相変わらずの色気のある声だ)、ヴォルフラムのWeiklが
決まりだな。Königのタイトルロールはあと一歩の感じ。声自体は悪くは無いのだが、苦悩とか、個性が感じなかった。それに、声域もそれほど広いわけで
はなく、少々苦しいのがわかった。ヴェーヌスはMeierだが、彼女にしてはいたって普通か?尚、第二幕の小姓役には児童合唱団を使っている。

お
次はWagnerが非常に尊敬していて、改編までしたGluckのもの。Wagnerの改編は他の作品だが、これは彼の代表作である『オルフェオとエウリ
ディーチェ』(ヴィーン版イタリア語全曲)。なんでこの曲をノイマンとGOLが録音したのかがいまいちピントこないのだが、そのような杞憂は演奏を聴け
ば、それこそ単に杞憂に過ぎないことが良くわかる。ノイマンはオペラ指揮者としてはそれほど有名ではないし、チェコ系以外だとそれほど注目されていないの
だが、実に良い意味でもカペルマイスター気質を発揮している。ノーツによると、彼の名を成さしめた、ベルリン・コミーッシェ・オパーを皮切りに、ドレース
デンのゼンパー・オパー、バイエルン国立歌劇場、シュトゥットガルト歌劇場、ベルリン・ドイツオペラ、NYのMETやヴィーン国立歌劇場でもオペラ指揮者
としても活躍したそうだが、これは今では殆ど知られていないのではないか?また、1964-68年までライプツィヒのGOLの常任指揮者?でもあったか
ら、ハウスの差し向かいのライプツィヒ歌劇場でも指揮棒をとったとも考えられる。彼のオペラ録音はチェコ系を除けばこのグルック以外ないのではないか?緊
張感溢れながらも、清潔というより、潔癖な演奏を心掛けている。よって、是非彼のオペラ録音、それもライブを、特にWagner、Verdi、
Beethovenなどを中心に聞いてみたい、という欲望に駆られるのは私だけではないと、この録音を聞けば誰しも思うはずだ。
リサーチの結果、METでは1986年に一度だけ、Jenufaを振ったようだ。
オケの指揮者としては、チェコ・フィルやらNHK以外では、ヴィーン・フィル、ベルリン・フィル、ドレースデン、及びライプツィヒのオケ(放送響?)、
パリ管、ロイヤル・フィル、チューリヒ・トーンハレ、ミュンヒェン・フィル、バンベルク響、NDR、WDR、ヴィーン響、モスクワ、St.ペテルスブル
ク、ブダペシュト、ワルシャワの各オケ、NYフィルなどである。
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mon.24.Okt. |
なんというか、このピザっちゅうやつは一体全体、我が胃袋の天敵
ですな。パスタは何時でもOKなのだが、どうも、全ての意味で不快感を与えてくれる数少ない食事の一つである。
昨日のインド料理は辛くて丁度良いのだが、どうしてアジア料理は一向飽きが来ないのであろう?
<本日聞いた音楽>
 
昨
日、今日とも時間があったにも拘らず、なぜか音楽を聴く時間が無かった。あったとしても、それほど集中的に聞けなかったのはやはり非常に残念だ。
その中でも、やはりクレンペラーのそれは無為に聞くわけには行かない。特にメンデルスゾーンの第三番は、クレンペラーの代表盤でもあり、『フィンガルの
洞窟』序曲と同様、メンデルスゾーンの数少ない傑作の一つであろうことは紛う事無い。好き嫌いはやはり異様なまでのテンポの遅さであろうか?私のような巨
大で、音を一つづつ追っていくような音楽が好きなものでも、少々もたれたな。でも、その他はシューベルトの後期二大交響曲。シューマンの前二つの交響曲。
シューヒターのスタジオ録音とは思えないほどテンションが高く素晴らしい、『彷徨える和蘭人』。
その後は大好きな、まさに芸術的に、余りに芸術的なモーツァルトのピアノ協奏曲を。Derek Hanのピアノ、Paul
Freeman指揮フィルハーモニア管の極上の録音で!(Brilliant Classics)
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son.30.Okt. |
いつの間にか週末、で音楽を聴きまくった。しかし、やはりアレル
ギーのせいによる睡魔、か怠惰か体調が悪いせいか、それとも、緊張感の無さか、倦怠感かそれほど集中出来なかった。
<本日聞いた音楽>
土
曜日は朝からWagner三昧。『オランダ人』に火がついたので、カイルベルトのバイロイト祝祭での実況を聞く。これ、残念ながら、音が酷すぎる。恐ら
く、Senta役のヴァルナイを基本に音を調整したと思われ、高音がきんきんし、低音が延びない。更には、広がりの無い音、バイロイトとは思えないほどの
スケール感及び、臨場感のないもので、非常に残念な思いがした。演奏が良いだけに。
Wagnerのバイロイトでの弟子とでもいえるような、存在であるフンパーディンクの代表作の『ヘンゼルとグレーテル』はSuitner指揮シュターツ
カペレ・ドレースデンのもので。こういった、最高のキャスティングで聴くと(なんと魔女役にテノールのシュライアー)オケの精妙さから、この曲がR.シュ
トラウスが書いたような曲に思えるから不思議。
後は、Naxosでフィンランドの名曲集かな。やはり、日本人である私には北欧音楽ではフィンランドのそれが一番合う。
日
曜日はこれまた朝から最高のモーツァルトの曲であり、最高の演奏の一つであると信じているハンのピアノ協奏曲全集から。その他には、余り感銘を受けなかっ
た古楽器によるハイドン『四季』をクイケンのもので。などなど。
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mon.31.Okt. |
「煮詰まり」状態かも?多分。それでも、感動するものは感動し、
それなりのものはそれ以下に・・・。
ニーチェは『あるものを美しいと表現したならば、それを誤解したことになる』といったそうだが(吉田さんの受け売り)、これは或る意味真実を言っている
と思う。我々は簡単に、面白いとか、美しい、とか素晴らしいとか、或る意味原始的で、またある意味正直な言葉を用いるのだけれども、その実、本当のとこ
ろ、そのものを理解、客観的に把握、観察したとは限らないし、上記のニーチェの言説のように誤解したとも考えうる。
このような場合、黙するべきか、それとも発するべきか?それは各々個人のとり方であろう。
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