"Und morgen wird die Sonne wieder scheinen..."

[Diary; Tagebuch; Diario; Journal; 日記]


「そして、明日も又太陽は昇るでしょ う・・・」という歌曲の一節からとった
この項は小生が日 頃何を聴き、何を考えているかを記す場所です。


[richard s.]
[A.D. 2008 / Heisei 20 / Kôki 2668]

August

=> Last modification: [31.08.2008]


mon.04.aug.2008  暑い、暑い、といっていたものの、既に「秋の風」がちらほら。昨日は友人と、恒例のベルリンの国際ビール祭りに参加。チェコビールを中心にたっぷり堪能しましたね。
 お勧めはこれ!プラハのビール。Staropramen

 ビールの味わいはもとより、グラスの(失敬しましたよ)もデザインも色気がある。また呑みたい!つーか、プラハ行こうかな。



<今月分のCD>
Alfv駭: Complete Symphonies
@ヤルヴィ指揮ロイヤル・スコットランドPO アルヴェーン交響曲全集 蘭ブリリアント 11.99E (BIS音源)

Bellini: Norma [US-Import]
@サンティーニ指揮ローマ・オペラ座管 ベルリーニ:『ノルマ』 独Myto 4.99E

Orchesterwerke
@デュトワ指揮モントリオール響 ドビュッシー:管弦楽曲集 英Decca 9.99E



<本日聞 いた音楽>
 デュトワ指揮モントリオール響 ドビュッシー:管弦楽曲集
Orchesterwerke
(フ ランスよりもおフランスしているーらしい?−らしかった?−デュトワ+モントリオールのものを。デジタル録音の長所がよくでており、今まで聞こえなかった 音の構造ーブーレーズのそれとも違うーや楽器の面白さ、そして、曲の色艶のあるものは、やはり優れたコンビによるものであろうか。因みに、当方が所持して いるもので、一番新しい録音。ブーレーズのDG新譜はイザ知らず、ミュンシュも、トスカニーニも、クリュイタンスも、ライナー・セル(はあるのかな?)も 知らなく、なにせ、Debussyがまだまだ入門者レヴェルなので、これからどしどしきいていきたいと思うが、やはり、名曲、名演、天才作曲家であること は、音楽を聴く上で更なる楽しみが増えた。
 このCDを購入した動機がやはり、デジタル録音というのと、モントリオールの音(いくつかあったが)、そして、初めて聞く『聖セバスティアンの殉教』を聞きたかったからである。そして今から、この曲を聴こうと思う。)

tue.05.aug.2008  やはり本日も秋の様相。なんとなく寂しい気がする。まぁ、天候だけのせいにはしたくないのだが。



<本日聞 いた音楽>
 サンティーニ指揮ローマ・オペラ座管 ベッリーニ:『ノルマ』 独Myto
Bellini: Norma [US-Import]
(カ ラスといえば『ノルマ』、『ノルマ』といえばカラス、というように、殆ど代名詞かして、その後釜というか、後継者にはかなり、きつい、そして否が応でも比 較対象、そして批判の対象にもなるもの。しかも、この演奏が、この『ノルマ』の上演を一幕ですっぽかして=嫌気がさして?、Anita Cerquettiという「無名な」歌手が代役として舞台に立ったのならそれは必然的に二つの答えしかない。YesかNoか。成功か失敗か。
 その模様を逐一中継しているのが、このCD。第一幕の途中で、なんかの野次で、オケ・公演全体がストップしてしまっている、その模様まで聞ける=残念な がらイタリア語で、しかも音質が酷いので何を言っているのかは流石に把握できないが、「なにがしかのハプニング」が起きていることは確か。
 面白いのが、最初は酷い音質だったのが、このハプニングの後それなりにーそれでも酷いがー聞けてしまうからである。
 尚、このCerquetti女史、この公演で弾みをつけて、カラスの後釜?、対抗?=シミオナート、になるほどの実力を持っていた。だが、ドラマティッ クな役柄(カラスの対抗?)を選びすぎ、また歌いすぎて、30歳にして現役引退したとのこと(因みに、まだご存命らしい)。彼女が歌ったオペラは、『ノル マ』、『ジャコンダ』、『アイーダ』?、『シチリア島の夕べの祷り』、『ドン・カルロ』などである。
 彼女の声質は、カラスの劇的悪魔的な声よりも、もっと通常な意味での性格的、演劇的で、人間的な声であるかもしれない。勿論、彼女ならではの「強さ」はあるが、カラスのが「高圧的」=女の怖さ、なものに対し、Cerquettiのそれは、女の優しさのそれかも知れない。
thu.14.aug.2008  なんとも、秋めいた様相。しかし、すっきりというか、爽やかさを保ちつつも、太陽がちゃんと照らしている。

 昨日、一昨日とハンガリー出身で主にアメリカで活躍した二人の指揮者を聞いた。一人はセル、そしてもう一人はショルティ。彼ら、ハンガリー系の指揮者に は、その他にも、偉大なライナー、フリッチャイ。彼らより少々劣る?が、ドラティ、フェレンチーク、ケルテス、歴史を遡れば、かのニキッシュ、リヒター、 セバスティアン、スワロフスキー、ザイドルもそう。現在ではやはりフィッシャー兄弟だけか?オーマンディーもそうであった。すっかり忘れていた。



 さて、少なくともセルとショルティにはやはりハンガリーの、そしてハンガリー系の指揮者に特有な、ダイナミック、快活さ、そしてテンポのよさが挙げられるし、なにより、そのストレートなアプローチを我々は楽しんできた。

 聞いたセルの演奏は、クリーブランドのWagner。ショルティのはシカゴ、VPO、バイエルンとのR.シュトラウスの管弦楽曲集と、録音はもとより、選曲、オケも違うわけだが、この二人にはやはり大きな違いがある。

Orchestermusik aus OpernOrchestermusik [UK-Import]Orchestermusik

 セルのダイナミズムは独裁的な指揮ぶりだった、とはいえ、もっと超越したような、技術に対する完璧さはいうまでもないが、それでも、強情さ・強圧てきな ものはなく、一人の人間が聞いていて心地よい。ここが、セルの良いところで、決して乾燥しすぎていないし、情に溺れることも決して無い。ここがセルの偉大 なところで、この偉大さはライナーのそれとも、やや異にしている。聞いていると、流れがよく、全てを見渡したああとで、一足一足進む。
 『トリスタン』だって、セル流に流してはいるが、決してエロスが無いわけではないし、『守の囁き』も神秘的なものが漂っている(彼が『パルジファル』に関して録音がないのは至極残念)。
 そして、なによりもとてつもないのが、初期の作品である、『ファウスト序曲』、『リエンツィ』における、スコアの読みの凄さと深さ。これほどビジュアル的に、立体的に演奏し、かつデジタルな乾きすぎたものも無いのがとてつもない。正直言って目が覚めた。

Zarathustra / Don Juan u.a.
 対するショルティの方は、Don Juan、Tillといい、とにかく能天気なほどの元気さで、まったくーいや殆ど裏が無い=日本風にいうと「陰翳」に欠ける、というべきか。
 兎に角、上から強引に押し出して、それを最後まで押し切ってしまうところも、あっけにとられるとはいえ、超名人芸の一つであることには相違ない。
 R.シュトラウスの書いた、一種の「物語性」というものではなく、技の披露宴、饗宴(狂
宴とでも呼びたいほどの)で、ここまでオケをひっぱっていく才能、そしてあのVPOをあそこまでねじ伏せてしまう強引さには敬意を払うべきであろう。
 バイエルンの『アルプス』だって、山を登る、という行為よりも、勢いよくブルドーザーで山を切り開く、と形容したほうが良い感じ。
 ただ、上記の「ブルドーザー」の例示ではないが、自然さ、余韻というか、聞いていてもう少し「優美さ」が欲しかった。
 音響としては凄いが、「文学としての音楽」には物足りない。



<本日聞 いた音楽>
 ヨッフム指揮ロンドン響 ベートーヴェン:交響曲第一番、第三番 蘭Disky
Sinfonie 9/Fidelio-Ouvertue
(お馴染みオランダのDiskyによる、まことに美味しい全集。しかも、EMIの音源の割りに、音?リマスターが非常に宜しい。
 録音は70年代後半のもので、Jochumもかなりの加齢な好々爺な時だったとは思うが、かなり元気のある演奏。さっぱりとしていながらも、直径的で、英雄の第二楽章における、一種の「しんみり」感にも欠けることはない。泣き過ぎない、といったところか。
sun.31.aug.2008  バイロイトレポートを書きました。小生は | こちら | で。


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