<Reise 09.2003;南仏+北イタリア+南西ドイツ、車 de タヴィ>


ガール橋 Pont du Gard


2004年3月19日最終更新





06.Sep.2003(土曜日)

夕方、ベルリン、Tegel空港よりStuttgart郊外のEchterdingen空港へ。
今回の旅は日本の大学時代の部活の仲間と一緒に行動。カイゼルM、マニアックT、MP長老夫妻、そして小生ことプロイセン王Kです。



07.Sep.2003 (日曜日)

睡眠時間2時間ほど。滅茶苦茶きつい。

Ludwigsburg
先ずは一路ホーエンツォレルン城へ。の予定だった が、道を反対方向へ。せっかくなので、北の
Ludwigsburgという町のお城みたいなところで写真。入場料が高いので入らない。街の至る所花が
綺麗に管理されている。美しい。基本的に南ドイツの方が小奇麗である。



Burg Hoenzollern

その後、ドイツ〜Burg Hoenzollernへ。ちゃんとつきました。色々と途中でとらぶったが、結果城
の景観が美しい場所で写真も撮れる。




山の中腹で車を止め、山頂の天守閣?へ突入。が、これが険しく厳しい。ぜいぜいいいながら
のそりのそり私だけゆっくりと登る。こりゃきついでんな。流石天下の名城、西洋版安土城。
ま、城は簡単に移動できたら意味が無いので、これが正解。
本物の大砲とか、塔とかを見物して、ドイツ語(バイエルン訛り)解説を聞きながら30分ほどで
中を見る。その後宝物館で、フリードリヒ大王使用のフルートを見る。豪華一点張り。
スコアはMozartのフルート協奏曲とかありましたな。剣とか鎧とか食器とか元帥杖とか。
見所は王冠ですかな。と、紹介文にも書いてある。

庭ではホーエンツォレルン家の代々のお偉いさんの像を拝む。


最後の第二帝政、皇帝ヴィルヘルム二世。勿論髭付。


でた〜、フリードリヒ大王。フランス語ではなくドイツ語でかいてありました。

ここはURLもあり
| こちら | (独英語)で見られる。

一路、西へ、フランスへ。独仏国境は検問無し。全ての旅で国境では検問なし。よって一度も
パスコントロールはなかったです。西ヨーロッパ大陸は一続きでんな。でも、余りフランスへ
来たぞ、という到達感はなし。

フランスの情報は | フランス政府観光 局  | で。


フランス〜アルザス地方〜Straßburg(ドイツ語綴り)シュトラスブール

グーテンベルグが印刷術を発明したと伝えられるストラスブールはヨーロッパ議会やヨーロッパ
人権委員会の本部が置かれ、ヨーロッパを代表する国際都市のひとつとしての役割も担ってい
る。
直訳は「道の街」だそうな。ドイツ語でもフランス 語でもそのような感じ。ドイツ国境が近いために
ドイツ語もOKよん。
夕食はハンバーグとビール。6.55Euro。宿は一人25Euroでした。
そういえば、指揮者のミュンシュもアルザス地方の生まれでしたな。


ストラスブール駅


途中でこんなもの見ました。あおってるな。



08.Sep.2003 (月曜日)

フランス〜
シュ トラスブール/ストラスブール
ストラスブール大聖堂 CATHEDRALE DE STRASBOURG
高さ142メートルの尖塔をもつ街のシンボル的存在。バラ色の砂岩でできた荘厳な建物は、ゴシック
建築の傑作とわれる。『最後の審判』が描かれた「天使の柱」や12〜15世紀のステンドガラスなど見
どころが尽きない。

翌朝大聖堂中を見物。余りにも大きくて外観は写真に収められません。しかも逆光。



教会内の時計。様々な(年月日の他に、月の進行など)の表記あり。


教会内オルガン


地名はフランス語、ドイツ語併記でした。小さくて読めないか・・・
その後、近くの土産屋で絵葉書を購入。親に送る。

その後ブザンソンへ移動。


フランシュ・コンテFranche-Comte地方〜ブザンソンBesancon
丘陵と川に囲まれた自然の要塞に守られるようにして築かれた城塞都市。街の南東の高台に位置し、
城塞(シタデル)には現在動物園などがあり、また整然とした街並みを一望することができる。
ブザンソンは『レ・ミゼラブル』などで日本人にも親しまれる文豪ヴィクトル・ユーゴーや映画の発明者と
して知られるリュミエール兄弟を輩出した街でもあり、生家が今日も保存されている。
毎年9月にはブザンソン国際音楽コンクールが開催され、日本人指揮者小沢征爾もこのコンクールの
出身だ。




ブザンソン城。中には水族館やら動物園やらある。水族館には鯉付。
お土産はフランス国王のトランプと各種切手。

ピアニストのリパッティの最後の演奏会はここ、ブザンソンである。CDあり。
ブザンソンではマックもどきのところでハンバーガーを食うが、これが旨い。晩飯はようやくさがしたあげ
く、川沿いの「新世界」と言う名の中華。この旅行を通じて一番旨かった。やはり世界三大料理。

〜シャローン
近郊のシャローンというところで宿泊。宿は 25Euro


09.Sep.2003 (火曜日)

シャローン

ローヌ・アルプRhone Alpes地方〜リヨンLyon
「美食の都」「絹の街」「金融の街」「ハイテクの街」、パリに次ぐフランス第二の都市にはさまざまな称号
がある。
ベルクール広場に駐車。ソーヌ川を渡り、 サン・ジャン大司教教会 CATHEDRALE SAINT-JEAN、
フルヴィエールの丘 FOURVIEREを上り、ローマ劇場、フルヴィエール教会 BASILIQUE DE FOURVIEREへ。


ベルクール広場より丘の上の教会を臨む。


サン・デグジュペリ(+星の王子様)の像。


古代ローマ円形劇場。偉大なる古代ローマの遺産。

更に登りフルヴィエール教会へ。壁には様々な題材の壁絵が。
余りよく撮れなかったが、ジャンヌ・ダルクのモティーフのを発見。



岡の上よりリヨンを望む。左側の半円形のガラスの建物がリヨン・オペラ。景観は壊していない
はず、多分。


リヨン・オペラ座。音楽監督はI.フィッシャーだそう。


芸術的な階段。イタリアを彷彿させますな。

階段を下り、フランス料理を昼飯に。Mr.ビーン似ボーイさん英語喋れなかったね。でも、うまかった。

なかなか良い | URL | を発見、参考にしました。

プロヴァンスProvence〜Pont du Gard(ガール橋)
ローマの水道橋(日本にも水道橋、ってなものがあったけれども、こっちはスケールが違う。どうでい
UNESCO世界遺産!)

ガルドン川をまたいでユゼスの湧き水をニームに運ぶための水道橋ポン・デュ・ガールはUNESCO
世界遺産。紀元前19年に建造されたこの水道橋は3層からなり、高さは49m、導水路の長さは275m
という壮大な古代ローマ遺跡で、9世紀までは水が流れていた、そう。
以前は水道橋のてっぺんを歩くこともできましたが、現在は水道橋へ登るための入口はふさがれて
いる、そう。




夕日に映えて一際美しい。
歴史の重みに圧倒。今回の旅行でベスト3にはいる感動。

フランス、プロヴァンスProvence=Avignonアヴィニョン
で泊。宿は少々高くて40Euro



10.Sep.2003 (水曜日)

Avignonアヴィニョン
教皇宮殿LE PALAIS DES PAPES

城壁内の歴史地区はUNESCO世界遺産に登録されているとか・・。

フランス王とローマ法王庁の対立により1309年 教皇クレメンス5世がアヴィニョンに滞在することになった歴史的
に有名な「アヴィニョン捕囚」の舞台。以後1377年にグレゴリウス11世がローマに戻るまでこの「捕囚」は続くが、
事実上「キリスト教界の首都」となったアヴィニョンには法王庁宮殿や現在はプティ・パレ美術館として利用されて
いる大司教館など当時の建築が残る。
毎年夏には国際的な演劇祭が開催される。この演劇祭は1947年にはじまったもので、地方都市の文化活動とし
ての模範となった。

お隣はノートルダム・デ・ドン大聖堂 (CATHEDRALE NOTRE-DAM-DES-DOM


サン・ベネゼ橋
日本でも有名な「橋の上で踊ろよ♪踊ろよ♪」のアヴィニョンの橋とはここのサン・ベネゼ橋(PONT ST-BENEZET)の
ことで、踊ったのはローマ教皇を迎えた地元の住民だったそうです。今はその橋、ローヌ川の半ばで途切れています。
童謡『アヴィニョンの橋の上で』で知られる橋。12世紀後半、ローヌ川に最初に架けられた石橋で、もともとは22の
アーチに支えられた全長900メートルの大きな橋だったが、17世紀の大洪水で18のアーチが流され、現在は川の途
中で切れたままとなっている。
日本語解説ガイド付でも3.5Euroは高いだろ う!

う〜ん写真はとれなかった。


Gordesゴルドー
フランスの中で最も美しい町、だそう。まるで『ラピュタ』の空中都市みたい。(皆、そんなこといっていましたな)





教会内。ここにもジャンヌが。フランスはジャンヌ信仰でもあるのであろうか?


Aix-en-Provanceアクサンプロヴァンス
音楽祭でも有名だし(会場はどこ?)、避暑地でも有名。ここにいる女性は異様なくらい
高いレヴェルで可愛い!
どうにかしているな。こんなところに住んだら、仕事も勉強もてにつかないっす。
セザンヌもいるわけだな、こりゃ。フランス女性万歳!

紀元前4世紀ころからすでに発達し、ローマ時代にはローマの植民都市ともなった古い歴史をもつ。
街の中心はプラタナスの並木が続くクール・ミラボー大通り。カフェやブティックが軒を連ね、地元の人びと
や観光客でにぎわう。
エックス・アン・プロヴァンスは「近代絵画の父」と称される画家ポール・セザンヌの生地としても知られる。
パリでの修業ののちにエックスに戻り、熱心に創作活動を続けた。エックス郊外にはセザンヌ自身が設計
した彼のアトリエや、モティーフとして描かれたサント・ヴィクトワール山、ジャス・ド・ブファンの別荘などをい
まも絵に描かれたとおりに見ることができる。

ミラボー大通りの近くに車を止め、歩く。


地中海を見た!Marseilleマルセイユ
紀元前600年にギリシアのフォカイア人が築いた植民都市「マッシリア」にはじまるフランス最古の都市。天然
の良港に恵まれるマルセイユは商都として発展し、現在も商都として繁栄する地中海の陽の光のまばゆい街だ。
(上記フランス観光局の説明)
が、現実は外国人が多く、しかも怪しい雰囲気、ベルリン+ハンブルク並、それ以上か?正直言って、地中海に
望む美しい港街、という先入観はおもいっきり崩されてしまった。二度と行きたいとは思わせない都市。



尚、オペラ座だけ安心、安全、綺麗なかんじ。フランス語だったので購入しなかったがプログラムには、
『影の無い女』、『アリアドネ』、『ジークフリート』、『パルジファル』も上演している。『アリアドネ』は井上道義が指揮。
当日はなんかのリーダー・アーベントがあり、中は入れず。


Cannesカンヌ
で宿泊。

フランスの至る所で見つけ、しかもかなりお気に入りなので写真をとる。因みに通販の広告だとか。
URLは | こちら | だす。


夜景。写真では殆ど感動を伝えられないのが残念です。



11.Sep.2003 (木曜日)

フランス、Cote d'Azurコート・ダジュール〜カンヌCannes

地中海沿いに広がる一帯はコート・ダジュール、すなわち「紺碧の海岸」と呼ばれる。

海道沿いの通りはクロワゼット通り (BOULVARD DE LA CROISETTE)といってここから見る海は美しすぎる!
毎年5月にカンヌ国際映画祭が開催されることで世界的に知られる。映画祭の会場となるのが旧港の手前にあ
るパレ・デ・フェスティヴァルだ。
洗練されたリゾート地としてカンヌが注目されたのは1834年にイギリスのブルーハム卿がコレラを避け、当時寒
村であったカンヌに滞在。これがきっかけとなり、風光明媚な土地に魅せられて屋敷を構えたことにはじまる。


カンヌ映画祭の会場。当日は船舶展示会が・・・。庶民には関係ないね。

カンヌ映画祭で有名で会場の近くの広場には有名人の手形が・・・。

日本代表大島渚!日本では単なる怒り親父だが、西洋ではかなり評価されている日本の監督だそう。


ニースNice
リビエラの女王とのあだ名に相応しい海岸都市。ニースは古代から小アジアのニカイア人の交易地として発展。
このニカイア人がニースという地名の語源ともなった。ニースはトリノ条約によりフランスに併合された1860年ま
でイタリアのサルディニア王国下の町として繁栄した。

カンヌより庶民的で宜しい。



ニース・ビーチ

移動中戦艦並の大きさの豪華客船を見る。実は戦艦だったり。

モナコ公国Monaco〜モンテカルロMonte Carlo
モナコの政府観光会議局公式サイトは | こちら |。
国土面積が日本の皇居の2倍程度という、世界で2番目に小さな国モナコは、現在、存続しているヨーロッパの
各王室の中で、700年以上もグリマルディ家という一つのファミリーが王位を継承してきたという点でも、実にユ
ニークな国です。


カジノ。入るときは正装よん。




オペラ座。工事中。像はマスネ。


ディアギレフバレエのプレートが。


F1コースを通る。有名なヘアーピン・カーブ、例 のトンネルも通過。V6エンジンがうなる。
貴族、金持ちが棲む、いや住むモナコは税金無し。
なんと日本庭園が。勿論鯉付でごわす。(写真は載せない)


モナコからの地中海。

〜一路北上

イタリア〜Milano
ミラーノ
物価高過ぎ。イタリア料理旨すぎ。私は大好きな海の幸パスタ+なぜかドイツビール(Lowenbrau=
ウムラウト書いていませんでした。)
もしかしたらいままで食った海の幸パスタの中で一番最高級だったかも。



12.Sep.2003 (金曜日)

イタリア〜Milanoミラーノ
流石、ミラーノ。男性がおしゃれですな。スーツ似合いますな。どっかの国と大違い。街中でミラーノ・
コレクション。

あ、トスカニーニの名前が。トスカニーニ通り?(多分)

トスカニーニの家。Casa Toscanini


お約束ミラーノ大聖堂。なんか尖塔が痛そうだ。ちくちく。中は本人(ぽんじん)多すぎ。小さすぎ。
写真撮りすぎ。はしゃぎすぎ。帽子かぶりまくり。


大聖堂内のオルガン。


有名なパサージュ、が、もっと大きいと思ったので残念。状況はブランデンブルク門と似ている。


外装工事中のミラーノ・スカラ座。中見られなかった。最低。がっかり。全体的にミラーノは余り好印象もてず。
スカラ座は今、日本へ外貨稼ぎに出張中。ムーティ付き『マクベス』と『オテロ』。

Brenner峠ブレンナー峠

アルプスを見た!


休憩所の売店にはなんと、このようなものが。趣味良すぎ。Führer Weinとか、Sieg Heilとか、
ヒトラーとムッソリーニ。なぜか、ロンメルもある。だれが買うんでしょうかね?どんな味がするの
か?人間の血がはいっていたりな。洒落にならん。


オーストリア〜Innsbruck地方インスブルック

オーストリア観光局のURLは | こち ら | (リンク切れ)。

通っただけ。宿が見つからず、車でドイツ方面へ。ガソリンも体力も無くなってきた所へ、ようやく
宿泊先発見。なんでも、インスブルックはなにかの会議?だそうで、どこも土壇場の予約は不可
能であった。

人口約12万のチロルの州都インスブルックは、中世の面影をたたえるアルプスの帝都で
ある。最初の集落は青銅器時代に始まり、古代ローマ時代以降常に、ブレンナー峠を経由
アウグスブルクへ至る交易の要衝として発展、とりわけ、この街を愛した皇帝マクシミリ
アン1世の面影が今も生き続けている。

2回の冬季オリンピック開催地として知られ、ブレンナー峠によってイタリアとの結び付きも強く、
南国的風情を湛えると同時に、ウィーンなど典型的中欧タイプの都市に比べ、はるかに西欧的
な街である。


インスブルック、Flaurlingフラウァリンク

観光局のサイトにものっていないマニアックな場所。宿では始めての日本人、アジア人だそう な。
ここで、田舎の人情を感じた。遅くて夕食が出せなかったが、朝食用のハムとパンをだしてくれた。
あぁ、人情味、人生劇場。宿は大きくて、綺麗で、安い。一人25Euro。こんなところでEuroが使用
できるのもなんとなく不思議。

話の関係から街の変わり者、ヴァイオリン製作者の家へ。宿の前に住んでいる人で、女将曰く、
「昼の12時に起きて、夜の0時にも起きる」とか。当日11時頃おじゃましたときには、今まで昼寝して、
これから仕事を朝方までするとか。なんか、生活リズムは私以上の人間だな。


バッハの二台のためのヴァイオリン協奏曲???競演。共演ではない。


13.Sep.2003(土曜日)

オーストリア〜Flauring

絵になるなぁ。井戸にはマリア様の飾りが。

これが宿泊した宿。昔の豪農の家といったかんじ。尚、TVは国営放送のORFの1と2しか写りま
せんでした。


ドイツ〜Bayern州〜Füssenフュッセン

ドイツ観光局のURLは | こちら | 。
フュッセンはノイシュヴァンシュタイン城に5Kmと近いために、城見物の中継地と思われがちだが、
700年の歴史ある中世の町。アウクスブルクと南イタリアを結ぶローマ帝国の街道の町として古く
から栄えた。 シュヴァンガウはノイシュヴァンシュタイン城下のバイエルン地方色豊かな村。



=Schloß Neuschwansteinノイシュヴァンシュタイン城があるところ。入城はせずに、道路から写真
を撮るだけ。ま、これでいいんじゃないのか、とのこと。
流石にバイエルン州なので、CSU(シュトイバー付)のポスターが。

Stuttgart
ガソリン及び高速料金などを含め、四人で割った金額は100Euro。安い!有難い!


14.Sep.2003(日曜日)

車でStuttgartからHeidelbergへ。

ドイツ〜Baden- Württemberg州〜ハイデルベルクHeidelberg
オーデンの森からライン平野にネッカー川が流れ出る景勝の地に古都ハイデルベルクがある。中世の
家並み、赤砂岩の橋、山の中腹の古城といったロマンチックな景観は幾多の詩人に称えられている。
ハイデルベルク大学は1386年に創設されたドイツ最古の大学で、今も町には学生があふれる。


BergfriedhofでFurtwänglerのお墓を。場所は正面入り口から左方面で Abt.Dの近く、水汲み場の手前で
前面にはベンチがある。管理人がいる建物が目印。噂には聞いていたが非常に分かりにくく、あっちへい
ったりこっちへいったりと・・・。現地のお年寄りに聞くのがベター。小生は合計10人くらい聞いてしまった。
地元の人に感謝。

先ずは水を汲んで墓を綺麗にし、花にも水をやる。15分以上感慨にふけっていた。


Schloß Heidelberg。レンガが赤いですな。

晩飯は
Stuttgartに戻って韓国料理店でビビンバを食べました。滅茶苦茶うまかった。ただかなり高かっ た。
17Euroっす。



15.Sep.2003(月曜日)

ドイツ〜
Baden -Württemberg州〜シュ トゥットガルトStuttgart

Staatsoper


車の町だけれども、余り関心が無いので当日は図書館へいったり日向ぼっこしたりで時間を潰す。

400周年特別記念のCDを購入。
400 Jahre Staatsorchester Stuttgart 1593-1993、とういものでモノーラルLP時代にDGGに録音したもの。
指揮者は全て音楽監督であったFerdinand Leitner。8Euro。
他にも珍しいCDUraCantなるレーベルから出ているWolfgang Windgassen及 びJosef Traxelのオペラアリア
集を購入。(それぞれ13Euro)。SWR公認のものでオーケストラはRSO Stuttgartもしくはヴュルテンブルク
国立管のもの。ま、地ビールみたいなものですかね。

因みに
Neues SchloßがあるSchloßplatzの近くにあるオペラ座の噴水の近くの名称が
Wolfgang-Windgassen-Wegである。(写真参考)



池の水に映えるオペラ座

その後、Stuttgartより空路ベルリンへ到着。家に着いたのは23:20頃。お疲れ様でした。




著:16.Sep.2003、ベルリン
掲載:17.Sep.2003
最終更新:19.Mar.2004
文責:今野聡

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