ち きちき第三回*!
自分で勝手に2009年に購入したCDのアカデミー賞
private academy-award 2009
04.01.2009 現在




Prize...

Kurt Atterberg 交響曲全集 cpo

ドイツの通販で唯一名曲発掘に力を入れているcpoを比較的安く購入できるjpc (http://www.jpc.de/)で後述のPeterson-Bergerと一緒に買った交響曲全集。
このレーベルの良いところは、マイナーな作曲家、曲の紹介だけではなく、演奏、解説書、録音、ジャケットのセンスがこれまたぴか一なのが良い。
アッ テルベリは合計9曲シンフォニーを書いており、どれもなかなかに北欧モードで、北欧シンフォニーマニアにとってはPeterson-Bergerとか Stenhammer同様実にたまらない曲風。ラジオで昔聴いたーこのCDの演奏―交響曲第七番「シンフォニア・ロマンティカ」の第一楽章でかなりの北欧 節、乃至は某NHKの大河ドラマのオープニングモードで、びっくりしたが、他の曲も大なり小なりそういったもの。但し、曲自体はシベリウス、ニールセンと 比較してかなりディレッタントのものだ。まぁ、でも、楽しむ分には至って問題はない。
不思議なことに、オケが北欧ではなく、ドイツの3種の放送オケである。

J.S.Bach カンタータ集 Rotzsch指揮ゲヴァントハウス管他 独BerlinClassics

「伝統とは怠惰のことである」。なるほどそうかもしれない。しかし、世の中には良い伝統と、悪い伝統があり、残すべき伝統と、改善すべき伝統もある。
ロッ チュの指揮するバッハは勿論、前者で、良き素晴らしい伝統である。勿論、旧東ドイツに残されたものだし、古楽器様式ではまったくない。しかし、要は楽器の うんぬん、録音の良し悪しではなく、やはり「共感」であろう。そして、この言葉こそ、ロッチュ+ゲヴァントハウス+バッハを繋ぐ「運命の絆」とでもいった よい形容詞かもしれない。
このCDを聞く楽しみは勿論、バッハを聞く楽しみでもあるのだが、同時に「音楽をしている」演奏者に対するものでもある。

Brahms 交響曲全集 Ansermet指揮スイスロマンド管 濠Decca

このぎすぎすさ、その中に溢れ、端座するロマン性はもしかしてギーレンを先取りした演奏かもしれない。

Bruckner 交響曲全集 Chailly指揮 コンセルトヘボウ管+ベルリン放送響 独Decca

Mahler の方を期待して購入したのだが(彼の『嘆きの歌』、歌曲集、第10番は非常なリリシズム溢れる名演)正直いって期待はずれ。で、Mahlerとかなりテー ゼが違うブルックナーはどうか?南国、というか、デリケートで、しかも、カロリーは低すぎも無く高すぎもなく、実に腹八分目のブルックナー。もっと油っぽ いものを欲しがるブルックネリアンはいるだろうが、音楽と対峙する謙虚でかつ真摯な演奏はこういうのが一番良いかもしれない。

Haydn – Il ritorno di Tobia Sperling指揮 独Naxos

ハイドン先生、これはやりすぎです。オペラじゃない、オラトリオなのに、このがちゃがちゃした超絶アリアはなんでしょうか?しかも、ドラマティックすぎます。CDはこれでようやく二枚目。ハイドンの秘めたダイナミズムを味わうには充分すぎるほどの名CD・名演奏。

Hindemith – Blomstedt指揮サンフランシスコ管+ゲヴァントハウス管 独Decca

「ヒ ンデミットはお好き?」はい、とても。彼の音楽はかなりささくれだって、ロマン性の欠片もないうえに、かなりじめじめしている。が、楽器の面白さ、オケの 機能の面白さを堪能する点では、R.シュトラウス並である。勿論ベクトルは完全に違うのだが。そういった意味で彼は名匠である、勿論作曲家としてでって、 指揮者としてではないが。
以前はケーゲルとか自作自演を楽しんでいたが、ブロムシュテットのはかなり明るい。彼の特徴である、音楽をかなり濃縮 し、結晶化する(WandやBerglundも似た傾向がある)のがここでは功を奏し、唯でさえ脂分の少ないHindemithがコチコチに固まった、痩 せ過ぎ(悪い意味ではない)のものとなった。それでいながら、その中から放射するアイロニーとか、根暗さ、そして真面目さが、実に真面目な演奏から十二分 に引き出されている。
Hindemithにしては「脂分」が少々多い、Weber変奏曲がこんなに冷凍されているとは!

Mahler – Rosbaud指揮 独Andromeda

ド イツの廉価のArchipelによる三枚もののBoxで第七番、第九番、そして『大地の歌』が入っているが、驚天動地なのは、しょっぱなの第七番で、こん なに、えぐい、エッジの聴いた、そして曲の持つ馬鹿馬鹿しさを絶対零度の冷徹さで解釈したこの演奏には、全く持って独自の演奏である。『第七番』は問題の 多い曲だし、演奏自体も少ないし、他のMahlerの曲と比較してもDiscも少ない。更には、「聴ける」演奏も多くは無い。
ロスバウトは真の名匠で、近現代音楽だけではなく、古典派のもの(HaydnとかMozartとか)も大層立派に聴ける。この点では現代音楽を愛した、クレンペラーとシェルヒェンと比較出来る唯一の巨匠かもしれない。
この演奏は、ロシアの大地の血の/地の暗さを堪能できるコンドラシン、馬鹿馬鹿しさを能天気に、それでいながらさくっとかわしたショルティのものと比較すると面白いかも。
残念ながら、クレンペラー、シノーポリ、ギーレンのは聴いたことが無い。

Mozart – ピアノ協奏曲 Marriner指揮ブレンデル 独Decca

こ のリマスター仕様のBoxは今年になってようやく復活した。原盤はPhilipsだが、同じUniversal傘下なので、なぜかDecca発売になって いるのが、どうにもこうにも複雑なー残念なー思いである。リマスターのせいか、Philipsのものより(単独では二枚所有)すっきりとくっきりと輪郭が はっきりしているようにも思えた。
演奏は勿論、素晴らしい。ブレンデルの真摯な(所々アレンジを施しているし、26番なんか結構デフォルメしてい るのだが)解釈、そして、音楽に面と向き合っている=これはすなわち、Mozartへの尊敬の念であろ、こと、また、徒に技巧に走らない点、非常に好感が もてた。バックのマリナーも、(当時では)Mozartのエキスパートだし、オケの小気味よさが何しろ素晴らしい。リマスターによって、楽器の掛け合いが 以前よりもよく聞こえるようになったし、何しろフレッシュさが鮮魚のように美味しかった。

Mozart – Sym Reiner

弾 丸ライナーの『ジュピター』はかつて米RCAのCDでもっていた。カップリングはこれまた凄いベートーヴェンの第七番。この41番を一言で言うと、ぎりぎ りまでに贅肉を落とし、それでいながらも、凝縮した味わい(最高の和牛ステーキを食べている感じ)、そしてテンポとオケのバランスの絶妙さ(セルと並びラ イナーは実は隠れたロマンチストです)。頂点はあの第四楽章にあるのだが、ここまできちっと整頓されていても、左脳にじわじわくる演奏はかつて無かった。 本当に恐るべき演奏である。
 日本盤の殆どはかすだが、このディスクは日本盤のみの発売。しかしながら、リマスター及び、解説(発売当時のLPの解説の日本語訳。勿論、吐き気がするような日本人による「ご教訓」はなし)は優秀。デザイン、価格も優れた、日本盤にしては珍しいもの。

Peterson-Berger 交響曲全集 独cpo

前述のAtterbergのBoxとともに買ったもので、Atterbergより期待以上の結果であった。合計5曲シンフォニーを書いており、余白には管弦楽のものがはいっている。
や やアマチュアっぽいAtterbergより、彼の場合にはもっと詩人で、散文詩を書くような人である。更に、前者の北欧のパッションを書いたのではなく、 かなり深く・暗い曲―といっても根暗ではないーを書いたし、オーケストレーションの面白さではAtterbergよりかなり上である。

R. Strauss – 協奏曲+組曲他 Previn指揮VPO 独DG

時代が過ぎ、いつになく「旧き佳き時代」というのが別に現代でも語られるのだが、ここにはやはりその形容が相応しい。R.シュトラウスの当時でも全時代的作品、VPOの「適当に力を抜いた演奏」、そしてプレヴィンのどのオケからも魅力を引き出す手腕。
これがまたまたヒットし(プレヴィン+VPOのR.シュトラウスは聞くに値する)、特にアメリカTelarcとは違った、それほど凝らないDGの録音もここちよい(悪名高い4Dだが)。
特に何をし、何を解釈し、何かを施そうとするつもりもないのだが、パッシヴな気持ちで、後ろ向きに足を進みたいと思うのであれば、これは格好の贅沢品であろう。

Monteux – box

餌 箱で拾ったもので、御大モントゥーのフランス客演ライブのもの。記憶が確かであれば、あるインタヴューで、加齢したモントゥーは、ストラヴィンスキー、御 国物フランスもの、ロシアものとかよりも、ベートーヴェン、ブラームス、R.シュトラウスとかを振りたかったようだ。確かにここでのBoxでも、 Beethovenが4曲が入っているのに驚かされるし、総合的にドイツ物の方が、フランス・ロシアものより多く含まれている。更には、彼の素晴らしい DeccaのBeethoven全集(9番はWestminster)と同様、これがまぁ、若さを失わない實に元気で、爽快な出来上がり。もっと素晴らし いのは、上から押さえるような萎縮したオケではなく、もっと闊達でフリーな印象を与えるのが實に良い。フランスの指揮者はミュンシュ同様、ドイツ系指揮者 には見られない豪快さとエレガンスさ、垢抜けさがあるのが特徴だが、こういったドイツもののプログラムも嫌味ではない。
録音はモノーラルで、いくつかはかなり厳しい状況だし、オケは国立放送とはいえ、二流だが、なにしろモントゥーの「芸」を楽しむには良いボックスであった。

Beinum box

20世紀の偉大な指揮者のシリーズの中で、ライブが二曲入っているのが嬉しい。また、オケもアムステルダムだけではなく、客演を繰り返したLondonフィルもある。
中身はフランスものあり、ドイツものあり、ロシアもの、そしてイギリスものありと彼のレパートリーの良さ、そして比較する上でもなかなかよいと思う(個人的にはこのシリーズ、結構中途半端で、イギリス人の人選の悪さに辟易したものだ)。
彼 の演奏は、例えていうなれば、ドイツのケンペのようだ。残念ながら、ケンペと違って、ベイヌムはオペラ録音がないし、ステレオ録音が出た矢先に急死してし まったのが、大変遺憾である。しかし残されたものは、どれも、一級の名に恥じないもので、メンゲルベルクほど個性はないものの、何しろ音楽をまともにやっ ている印象を実に気持ちが良い。それでいながら、ルーチンな感がしないのは、やはり彼の音楽性の高さによるものであろう。
このCDには入っていないが、彼のブルックナー、特に七番は名盤(廃盤)である。

Schuricht box

ヘンスラーの20枚+1DVDのボックスで、激安で買ったもの。正直言ってこれは自分にとって冒険であった。なにしろ、それほど好きでもない指揮者のアンソロジーを、いかに激安だからといって、20枚も、‘我慢して’聞くことが果たして出来るか、というものであった。
個人的にはシューリヒトという指揮者は、「面白い」人、そして「枯れた」人、という程度の認識で、当方の好きな、クレンペラーとか、クナッパーツブッシュ、カイルベルトとかメンゲルベルクと比すると、(世評はともかく)かなり格下のイメージである。
非正規盤であるベートーヴェン、ブルックナー、各撰集でも、そういったイメージであったし、EMIのブルックナーは流石に素晴らしいものの、あくまでも、’one of them’という評価であった。
全 て制覇した結果、やはりイメージは変わらなかった。ハイドン、モーツァルト、ブルックナーの8、9番意外では、殆ど個性が芸に繋がっていない感じがしたの である。それは特にシュトラウス、マーラーで顕著で、安定よりも、(私にとっては)不可解なデフォルメ、ギアチェンジ、それほど共感が沸かなかったのが正 直なところ。

その他
Bach – Rilling Konzert
Haydn – Sym Pinnock
Haydn – Die Vierjahreszeiten Jacobs
Mozart – Don Giovanni Rosbaud
Mozart – Sym Linden
Sibelius – Sym Blomstedt
R. Strausss – Salome Schroeder
Wagner – Meistersinger Konwitschny
Wagner – Tristan und Isolde Sawallisch

過去に購入したものの中では、
HogwoodのBeethoven




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