自 分 で勝手に2005年に購入したCDのアカ デミー賞
31.12.2005現在




金獅子賞
今年も No.1はロット!
リュック ヴァルト指揮マインツ国立歌劇場フィル管によるハンス・ロット交響曲第 一番ホ長調 (独Acousence)

驚きのCD である。指揮者、オケ、録音ともである。去年に引き続き、ロットの交響曲第一番。
実は、この CD購入予定に無かったし、たまたま視聴して一発で虜になった。最大のネックは値段で20Euro近くした(日本円だと3000円弱か?)。しかしなが ら、無名なレーベルだし、何しろ完全無欠の演奏なので、この機会を逃したら後々まで祟られると思い、一年に一回あるかないかの、清水の舞台から飛び降りる 如く、購入した。しかも、最後まできいてライブだから 更なる驚愕。

 指揮者はなんと、ドイツ人女性でかなり、勢いにまかせた、豪快なも のだが、更に驚くべきはスーパーな録音のお蔭で楽器の分離も明確だし、オケのレヴェル自体も凄く高い。(録音のお陰か?)。尚、このレーベル、マインツに本拠をおいた、地元レーベルでしかもかなり新しいせいか、数枚 のCDしか出していない。しかし、このRottの交響曲以外にも、彼の作品をもう一枚出している。Rottシリーズを出すようであれば、非常に楽しみであ る。おいそれと容易に手が出せる値段ではないが。

 押し出しの強い、男性もたじたじのこの演奏に耳を傾ければ、不遇な作曲家も浮かばれるであろう。尚、昨年第一位に輝いた?Samuel指揮のCDと比較 すると、この演奏の持つ独自の豪快さが容易に分かるが、少々一種の「老齢さ」、「熟成度」が欠ける。でも、いいのだ。若者は前進するのみなのだから。


指揮者賞
クレンペ ラー指揮 POによるモーツァルト『魔笛』 (EMI)

これはディアローグ無しのヴァージョン。これについてクレンペラーはプロ デューサーのWalter Legge
宛てに所信 を述べている。曰く、
The recording of the Zauberflöte without the dialogue is - according to my conviction - the right procedure. The eternal music in this work  is essential, the dialogue on recordings superfluous. As I take the responsibility for these records, I must use my own judgement.

 この所信は 正しいと感ずる。少なくとも、スタジオで缶詰にされ、録音技師に一任してしまうような、「artificial人工的」なものは、実際の上演の際のその他 諸々の状況を割り引かなければならないと同時に、商業的だが純音 楽的なものを信奉する芸術家にとっては、何が大事で、何が不要なのかを場合によっては状況を変えなければならないからである。台詞付の録音、及び上演に慣 れてしまっている観客・聴衆にはこの決定はやや違和感を感じるのは当然だが、場面と場面の繋がりにおいて、この選別は意義或るもので、オーセンティックの 名目の下で味気ない演奏・録音が増えている昨今、このオピニオンは再考の価値があると思う。

 演奏の方 はというと、この曲に深い哲学思想や、深遠さを求める人のみ感動するはずであって、『魔笛』はお子様向けの、クリスマス 演劇だと思っている人には全く持って関心しないであろうどころか、恐らく怒りを持って、いや不可解さをもって受け止めるであろう。音楽が音楽であると同時 に、芸術である、更には一握りの芸術家のみが創造を許される文字通りの「真の芸術」がここに存在する。永遠の神秘と、宗教的な天才の響き、そして無垢な美 が最高の極致にまで引き上げられたのがこれである。私はこの演奏を聴いて、正直に言って、初めて『魔笛』という高貴さが理解できたと思う。ここには、異端 者 の悲劇があるが、物事の核心を突いた純真で純粋なアマデウスの天才性を再創造したものだ。それでいながら、普通のモーツァルトではなく、純ドイツ的なベー トーヴェン、更にはヴァーグナーのような作品のゲルマン性をも体現している。


クレンペ ラー指揮NPO ヴァーグナー:『さまよえるオランダ人』 (EMI)

異論があるようだが、これは現行版ではなく、ドレースデン版、若しくは初稿 版・初演版によるものだ。これについても指揮者クレンペ ラーはこの版のチョイスについて意見を具申している。少々長くなるが、大変貴重なものなので引用しよう。尚、オリジナルは1929年のベルリンのオペラ座 のパンフレットからで、勿論ドイツ語である。
 The new production of Wagner's Flying Dutchman at the Staatsoper in the Platz der Republik used the original version, which Wagner himself conducted at its premiere in Dresden. Later he made fundamental changes in the scoring with the intention of lessening the sound of the orchestra. Also absent in theoriginal version at the end of the Overture, as at the end of the opera, is the reminiscence from thesecond theme of the Overture, wchich Wagner did not add until later.
 So the new production of the work at the Republik Opera will sound exactly as it was performed at its Dresden premiere in 1843. The score and orchestral material will be those that were used at the Berlin Schauspielhaus on 7 January 1844 under Wagner's own direction.

 尚、the Staatsoper in the Platz der Republikというのは有名なKroll Operである。

 驚愕的な出来栄え。恐らくクレンペラーの演奏中でも一二を争うほどの完成度。音のくいこみがはんぱではなく、まさにミューズに仕える使徒が体をはって指 揮 している。老齢など微塵も感じず、芸術への愛情が見事に昇華されたもの。やはり、クレンペラーは偉大である。恐るべし。
 
 
古楽賞(ハイドン賞でも可)
アーノンクール指揮ハイドンの各種宗教曲集。(独 Warner)




 
オペラ賞
2005年に惜しくも亡くなったイタリアの巨匠ジュリーニが若 い時に 振ったしかも、マイナーなDonizettiの白鳥の歌であるDon Sebastiano。いけいけどんどんのグランド・オペラがたまらないなぁ。 (独Walhall)


レーマン指揮バイエルン放送響によるコルンゴルトの代表作オペラ『死の都』  (独Walhall)
(初めてこの曲の素晴らしさが分かった。)

 
グイ指揮 スポンティーニ『Agnes von Hohenstaufen』 (独Walhall)

Wagner以前のWagnerで、第一幕のモティーフからなかなかそそられるメロディー。いけいけどんどんののりで、 WagnerのRienziもこの曲があってこそ、と思う。同じ作曲家のFernand Corteszの方がRienziに多大な影響を与えたようだ が・・・
 
アッカーマン指揮WDRケルン響プッチーニ 『マノン・レス コー』ドイツ語版 (独Walhall)
(自分でも驚愕なのだが、プッチーニの曲、しかも、マイナーに属するこの曲に感動しちまいました。)

 
 
作曲家賞:モーツァルト (来年はMozart-Yearだ。)
クリスティー指揮ランドン版によるモーツァ ルトの『大ミサ曲』  (仏Erato)

同じ機会にレクイエムの方も購入したのだ が、そちらは至って普 通に優れた演奏であるのに対し、こちらの方は、クリスティー大好きなOさんの情報によると、彼の代表盤であるようで、確かにしっかりと、という形容はあた らないが、指揮者の思い入れが感じられる優秀かつ、素敵な演奏になっている。フランス的な明るさと、曲の持つ深刻さ、というか陰影のあるコントラスト。フ ランス語でいうところのjex(遊び)と、joyeyx(楽しい、喜ばしい)という二つのJが同居したようなかんじ。録音の良さも相俟ってか、その晴朗さ とふっくらとしさ人間的な暖かさ、音楽をすることの嬉しさを聞きながら感じるのは、演奏家が仕事ではなく、皆で和気藹々としながら、音楽の再創造をしてい るものだ。

 この曲はどちらかというと、この曲の代表盤であるフリッチャイのひたすら内面へ内面へと進む、一種哲学的かつ瞑想的 な、禅ににも 相通ずる演奏が多いいのに対し、このクリスティーのは古楽器というのを考慮に入れても、解釈として上記内面性と新婚間際に書かれた歓喜としての外面性の両 者を掛け合わせたものであり、その中では多様性を持つ数少ないこの曲の優れた演奏の一つであろう。
 
 
ロスバウト指揮パリ音楽院管『ドン・ジョ ヴァンニ』 (独Walhall)

現代音楽の巨匠は、古典音楽を捌いてもやはり、巨匠である、という優れた証左 がこれ。ロスバウトはハイドンでも実に生命力ある有機的な解釈をしていたが、彼の十八番のモーツァルトも最高に楽しめる。彼は、モーツァルトのオペラ録音 がライブでかなりあり、これもアクサン・プロヴァンス音楽祭からの実況。EMIには『フィガロ』、『ドン・ジョヴァンニ』(別録音)、Walhallでも 『後宮』がある。

 残念ながら、他の録音は有名だが、聞く機会が今の今までなかったのだが、これはモノーラル・ライブ録音、カット ということ を 割り裂いても、実に魅力溢れる録音だ。まず、現代音楽の巨匠らしくドライで切れのある序曲から、聞き手を魅了する。早めのテンポでたたみかけるのは、やは りライブのオペラの即興性であり、のりの良さであろう。ここまで聴いて思い出したのは、同じく優れたモーツァルトオペラ解釈をなしたフリッツ・ブッシュの それである。彼と等しく即物的なものではあるのだが、それは悪い意味での即物的解釈ではなく、その実、いかにも清潔で潔癖、でありながら、モーツァルトの 真実の容姿を的確に伝えているのだ。そして、クレンペラー特有の「ドライな情熱さ」もあり、これらが相俟って実に聴き易い。流れのよさ、というのは即ち歌 手に合わせながらも、歌手を合わせてしまうマジックだが、ここでは指揮者、歌手、オケ三位一体となり、聴き応えのあるものとなっている。歌手では、ドン ナ・エルヴィーラを気品高く歌っているSuzanne Dancoが一押しである。

 録音も、上記悪い、と書いたものだが、1950年のライブにしては、ハイクラスのものであろう。例の三位一体が効果的 に聞こえる の だ。
 
 
グラーフ指揮ザルツブルク・モーツァルテウ ム管によるモーツァ ルト交響曲全集 (独Capriccio)

ようやくにして、優れた解釈の元モーツァルトの全集を得たような感じ。既に所 持しているのは、ラインスドルフによる旧全集(前半がステレオ、後半がモノーラル)、アリゴーリの両者の気に食わない、貧相な解釈だっただけに、感動はひ としおである。

 個々の演奏では、それほど個性的な風は感じないのだが、全体として中庸の解釈ながら、均整の取れた、そして楽々と芸を披露しているものは、 やはり高く評価されてしかるべきだ。過激でもなく、オケも現在では中途半端な、小中室内管弦楽団だが、ザルツブルクという作曲家に関連ある都市という「お 国もの」という使い古された表現を借りるまでも無く、純粋な意味で優れた合奏、的確なアインザッツ、ややドライだが明晰な録音、のお陰で実に心地よい音楽 を楽しめる。モーツァルトのシンフォニーは彼のオペラやピアノ協奏曲と比較して、また一曲一曲が天才のユーモアでかかれたハイドンのシンフォニーと比べる と、やや遜色を感じるのは否めないのだが、ここに録音された曲一曲一曲は、天才の天才故を余すところ無く具現化している。モーツァルトに限らず、シンフォ ニーの全集録音というのは、有名な曲はしっかりしているが、無名・初期の曲はなおざりにされていたり、逆の場合も多々存在するが、ここでは、初期・後期、 有名・無名に限らず、曲のもつ魅力(それは同時に問題点ともされる)が十二分に解釈されている。モーツァルトの没後200年に向けて録音されたもので、当 然のことながら新全集で、37番は含まれず、その代わりそれ以外の初期の交響曲が含まれていたり、全てにおいて反復を行っており、また、曲によっては別 ヴァージョンも録音されたりと、資料的価値も高い。何しろ、低価格でハイクラスの演奏が楽しめるからお買い得である。
 
 
やっぱりなんだかんだいっ てもWagner賞
デンツラー指揮スイスロマンド管 『ヴァル キューレ』 (独 Gebhardt)

目が覚めるような劇演。その前にこの上演に ついての詳細を。

 1951年5月1日、ジュネーブの大劇場で、『ヴァルキューレ』のプレミエのプローベの時に、大火事があり、劇場は殆ど消失してし まった。プレミエは翌日だが、とても上演できるような状況ではなく、結果演奏会形式として、スイス・ロマンド管のホールである、ヴィクトリア・ホールで開 催された。大劇場のほうは、結局1962年の再開まで使用不可能なほど、燃えてしまったようだ。この、演奏自体はプレミエのものではなく、第二回目の上演 の記録で、初出だと思う。

 指揮者のR.F.デンツラー(1892-1972)は殆ど無名に等しいが、若き日の1911/12にコレペティトゥー アとして バイロイト で 研鑽を積み、その後、1925-31年までジュネーブでヴァーグナー祭を指揮、有名どころではチューリヒで1937年に、ベルクの『ルル』(未完成版)を 初演した。また、同地でヒンデミットの問題作『画家マティウス』を1938年に世界初演している。恐るべきは、というか流石というべきか、Wagner上 演が板についており、また、上記の通り、尋常ではない状況下のもと、非常に緊迫した、そしてエモーショナルな演奏が繰り広げられている。スイス・ロマンド 管はアンセルメが指揮者としては有名だが、どうやら、オケ座のピットとしてジュネーブ大劇場で演奏をこなしていたようだ。ドイツの典型的な響きではなく、 どちらかというとラテン的な明るさと見通しの良さを持ったオケのキャラクターだが、さりとて、フランスやイタリアのような響きでも無い。弦は透明で管楽器 が特に明るいもの。各幕の前奏曲が、これまた白熱の演奏で、やや薄味ながら、クリアーな非ゲルマン的要素を持った燃え上がるようなもので聞き手を興奮の坩 堝にいざなう。戦中のラインスドルフのMETの演奏を、聞いているうちに思い出したが、それよりも、もっと伸縮自在で、一本調子に陥っていないのは偉とす べきであろう。絶好調のトスカニーニのものを聞いているようで、荒れ狂う時には荒れ狂い、清楚で精緻なところは歌わせる。恐らく、リハーサルが徹底してい たのであろう、管楽器を中心にばっちり縦の線が纏まっており、それでいて、恐るべき推進力をもっている。カイルベルトのようなこれぞゲルマンの Wagner解釈とは異にしたものだが、土台がしっかりしており、オペラ指揮者としての才能も十二分に有する。更に、燃えたぎぎるような、たたきつけるか の如く疾風の荒々しさ、そして、伸縮自在な解釈はこの知られざる指揮者のタレントを描出したものである。残念なことに、第二幕で20分ほどのカットがあっ たが、当時の状況を考慮すると、まだまだ、カットをするのがそれほど珍しいものではなかったのであろうか。新バイロイトでは、勿論、徐々に他の都市でも、 カット無しの完全版で上演するのが当然となる。もしかしたら、演奏会形式ということで緊急の処置だったのかもしれないのだが。

 録音はこの上なく優秀。高音の抜けの良さが取り分け耳につくが、やや明晰過ぎるのか、アンプの調整が必要である。翻っ て低音はや や 補足したほうが良い。それでも、ステレオ的な拡がりをもつ臨場感で、ホールの音響の良さを確かめられるのと同時に、廉価版ながら、リマスターの優秀さで一 目置かれているドイツGebhardtの面目躍如である。リマスター技師はRudolf Wahl。

 歌手も優秀で、特にジークリンデのHelene Werth、フンディングのHerbert Alsen、ブリュンヒルデのGertrude Grob-Prandlが素晴らしく、また、ヴォータンのLudwig Hofmann及びフリッカのGeorgine von Milinkovicも名歌唱を披露している。ジークムント役のTorsten Ralfはいたって普通か。

 Werthはそれほど有名な歌手ではないし、以前ドイツのYahooでリサーチした時には殆どヒットしなかった。が、 シューヒ ター と『オランダ人』のゼンタを歌っており、その突き抜けるような美しい歌声と、ドラマティックすぎず、人間的な温かみも持つ彼女の声は一発で魅了された。 Grob-Prandlのブリュンヒルデも低めでややどすが利いており、陰影のある声が特徴で宜しい。彼女はまた、オーストリア放送のモラルトリングでも 同役を歌っており、その技量は既に折り紙つき。演奏会形式のお陰のせいか、全体的に、演技よりも歌唱・言語の明瞭さを味わえる演奏で、録音の良さもここで は効果的である。『ヴァルキューレ』は有名で、人気が高いが、歌手の選別が非常に難しいと思われる。
 何せ、重要な歌手が6人もいるからだ。この演奏では殆どハイクラスの歌唱で、総合的に鑑みて、極めてエクセレントなも のである。 私 は非常に楽しめた。
 
 
ケーゲル指揮ライプツィヒ放送響『パルジ ファル』 (独 BerlinClassics)

これは衝撃的だ。パルジファル、バイロイ ト、クナッパーツブッ シュのもつ「オリジナリティー」から徹底してentmythisieren脱神話化、entzaubern脱魔法化しているからだ。誰しも、 Parsifalを指揮、解釈する段となると、多かれ少なかれ其の曲の持つ神秘性の虜になってしまい、聴く方も、それを否が応でも期待してしまう。その、 最高の例がクナの1952年のバイロイトなのだが、流石ケーゲル、一筋縄ではいかない。やはり現代音楽の巨匠、ひねくれものであるだけあって、早めのテン ポ、あっさりとした解釈、シベリウス的なメロディーさえ氷結してしまうかのようなもの。一種これは北欧的なパルジファルだ。こういった分け方は好きではな いが、クナのは最高の、典型的ドイツ的なパルジファル解釈だとすると、クラウスのそれは南欧的。ブーレーズのはさて、どう表現したらよいであろうか。

 ケーゲルのそれは、北欧的だが、メカニックで、異論があるかもしれないが非人間的かもしれない。スコアを丸写したよう な見渡しの 良 い、それでいて、一音一楽器が独自性を持ち、レントゲンでスコアを分解したものだ。明晰だが、ショルティのようなものではなく、もっと冷徹、絶対零度の剃 刀でばりばり切りつけるような、シャープなもの。驚くべきことは、これが、演奏会形式ながら、一回のみのライブだということ。ライプツィヒ放送響は勿論、 悪くは無いオケ、特にケーゲルの指揮下の下、薫陶宜しく一時代を築いたのは言うまでもない。しかしながら、他の優秀なオケと比べてしまうと、録音の際でも やや弱い感が否めなかった。しかし、よほど気合が入っていたのであろう、その全体の完成度はライブという感興も相俟って、優れていると同時に、驚異的であ る。

 面白い、人によっては、特にパルジファルはクナだと信奉している人にとっては、この演奏は毛嫌いされるに違いない。テ ンポもそう だ し、誰しもが恍惚的にかつ第一幕の基本軸として丁寧に演奏するであろう、舞台転換の音楽はがりがりしてかなりうるさいし、管楽器が吼えまくっている。ここ だけ、特にうるさく感じるであろうし、他のオケだけの合奏となると、いままでの哲学をうっちゃって、がんがんに鳴らせてしまうのは反発を感じることもある はず。

 歌手では、なぜかAmfortasを歌っているAdam(やっぱり、Gurnemanzだろう?)、Kolloのタイ トルロールは言うに及ばず(相変わらず馬鹿 みたいな声は彼の性格、容姿にぴったり)、無名な二人の歌手、 Cold のむせ返るような色気があるが、なかなか板についているGurnemanz、ケーゲルの解釈にぴったりのKundryのSchroeter。彼女は第三幕 で絶叫ならぬ、雄叫びをあげている。この人他の録音はいざ知らず、恐らく旧東ドイツで活躍したのであろう、実力の割りに無名なのは、地域的な名声に限定さ れてしまったのかもしれない。非常に残念だ。

 録音も、ライブの割りに、いや、スタジオ録音よりよく録れている。横にかなり広がりのある録音だ。オーディエンス・ノ イズは殆ど 聞 こえない。以前KOCHで発売されたときには4CDだったはずだが、快速テンポのお陰で、なんと3CDに収まってしまうし、クナのと比較して幕毎に15- 25分早い。これは、かのブーレーズよりも早いし、他の指揮者よりも早いのではないか?

 尚、トスカニーニもバイロイトで指揮したが、意外や意外かなり遅いテンポで第一幕は唯一二時間を越えたという。R. シュトラウス は 歌手が困るほど早いテンポで、「シュトラウス・テンポ」と命名されたそうだが、ここまで早くないはずだ。

 これは廉価版でしかも、1CDのケースに3CDが巧く入っており、更にはテクストも入っているからお買い得であろう。
 パルジファルへ一種の距離感を感じたり、楽しめない人には絶品でお勧めである。

 録音は1975-1-11で、ライプツィヒ放送響のハウスである、コングレスハレでの一回こっきりのライブ録音であ る。

 今年は、パルジファルを購入できる機会が多く、グイ指揮カラスのイタリア語版(抜粋;珍品の部類に属するか?)、ク ナッ パーツブッ シュ指揮ベルリン・オペラハウス管の第三幕(戦中録音)、同指揮の1954年のバイロイト実況、モラルト指揮ヴィーン響、シュティードリー指揮METとそ れぞれ楽しめたが、このケーゲルの演奏が一番〜問題性を孕んでいるであろうが〜「楽しめた」し考えさせられるものであった。
 
 
カイルベルト指揮バイロイト祝祭『指輪』 (1953年) (独 Andromeda)

1952年の物凄い演奏と比較するとやや遜 色を感じるが、やは り、この人のWagnerは駄作がない。リマスターも非常に丁寧で好感が持てる。スリムケースなのも嬉しい。


シューヒター指揮NDR『ラインの黄金』  (独 Gebhardt)

小生実は、Wagnerの中で『ラインの黄 金』が苦手だ。休み なしで2時間半というのも堪えるし、音楽自体がそれほど魅力あるものではないからだ。Ring全体を俯瞰すると、『ヴァルキューレ』はなんといっても、昔 も今もドル箱だし、芸術的には『神々の黄昏』がトップだし、一番人気がないといわれる『ジークフリート』だって、なかなかである。『ジークフリート』も確 かに音楽自体が他の二作と比較してすぐさま聴衆を魅了する力にかけるが、作曲年が離れていて、次夜への掛け渡し的、しかも芸術的に前二幕と比べて格段にあ がっている第三幕は大変魅力的だ。前夜の『ラインの黄金』後続の話のついでに書かれたようなもので、最初の20分ほどで、飽きてしまう。音楽的に魅惑させ られるのは、やはりなんといっても、物語の開始である、前奏曲、最後のヴァルハラ城への神々の入場、地下への舞台転換の音楽だけだと考える。だから、よほ どのことが無い限り、この曲、お話を惹き付けさせることは無理だ。このシューヒター盤ですぐ思うのは、キャスティングが大変豪華だということ。当時の Wagner歌手のオンパレードで、当時バイロイトに出演したり、他の録音でもおなじみの歌手の勢揃い。信長配下の馬揃えの感あり。しかしながら面子が凄 いだけで、実 は大したことが無い、というのは儘あるが、これは期待を裏切らない、名実共に名歌手たちのオンパレードである。録音は1952年の10月7日になされてい るから、夏の バイロイトを切り上げて、その後ハンブルクで再開したキャストも多いのではないか?

 しかし、残念なことに、この名歌手達のハンブルクでの「馬揃え」はジャケットに書いてあるが如く、この一作だけで終 わってしまったよ うだ。曰 く、Sadly this celebrated cast recorded only RHEINGOLD but not the complete RING-cycle.

 この海千山千のスター歌手をばっちりしめているのは、なんといっても指揮者のシューヒター。残念ながら、彼はバイロイ トに出演し た ことが無いし、Wagnerの録音も、他には放送録音『オランダ人』、商業録音EMIへの『ローエングリン』しかないのだが、どれも一聴に値するものばか りで、古き佳きカペルマイスターの芸の高みを見せ付けられたものだ。この、苦手な『ラインの黄金』も、実に語り口の良いもので、オペラ指揮者、 Wagnerの曲に欠けるものがまるで無い。ごつごつしているのが、いかにもそれっぽくさせているが、決して泥沼に陥ることなく、逆に見通しの良さをも感 じる。メロディーラインよりも、キャラクターの峻別、即ちライトモティーフの変化の効果の巧みさ、オーケストラ・ビルダーとして有名であったシューヒター らしく、オケのコントロールも滅法巧く、個とも全体ともにしっかりと掌握されている。放送録音のはずで、一回こっきりの一発ライブ的なのりも相乗効果を挙 げ、更には放送 テープ及びそのリマスターも大変上手で、最高のモノーラル録音の状態である。

 シューヒターの録音はEMIにいくつかあるが、殆ど陽の目にあたることはないし、いくつかの放送録音の発売でその真の 実 力が再評価 に繋がることを切に祈る。彼は、ケンペやカイルベルトのような実力もあるし、オケものを録音、しかも大曲を録音させたらさぞや名演だったに違いない。上司 のイッセルシュテットや、ベームなんかよりも実力があったと推測できるはずだ。

 『ラインの黄金』に関していえば、1952年バイロイトのカイルベルト、1951年同じくバイロイトのカラヤンと同じ く極めて高い質の演奏であった。

 (余談だが、この同じ録音は独Walhallでも入手可能。同じGebhardt系列なのになんで同じように再発
するのであろうか。不明である。推測だが、Gebhardtはミッド・プライスで、Walhallはロー・プライスなの であろうか?)
 
 
ヨッフム指揮バイロイト祝祭 『ローエング リン』 (独 Archipel)

バイロイトの正規サイトによると、 ヨッフムのバイロイトは1953年デビューで、
  1953:トリスタン5
  1954:ローエングリン6、タンホイザー1(この録音なんとか残っていないものか?)
  1971:パルジファル4
  1972:パルジファル4
  1973:パルジファル5

を振っている。長いキャリアの割には、それほど頻繁に出たわけではなかったようだ。彼のその他のWagner録音は、マイスタージンガーはミュンヒェンの ライブ、ベルリ ンのスタジオ商業録音、同じく商業録音のローエングリン、ローマでのパルジファルがあるだけだろうか。

 キャストで面白いのは、ニルソンのエルザ(初めて聴く)、アダムのハインリヒ王(初めて聴く)、FD!の軍令。ヴィントガッセンの題名役はいつものこと だし、ヴァルナイのオルトルート+ウーデのテルラムントは毎度お馴染みだな。

  JochumのLohengrinは、全く持っ て素晴らしい。 JochumのWagner指揮者の一面を垣間見たようなものだった。前年にバイロイト初登場したのだが、そこでのTristanもこの曲の持つ情熱さを 彼特有の気がふれたように煽りまくっていて、この曲の持つべき原点だと思ったのが、このLohengrinも、特にその煽りを十二分に楽しんだ。いや、そ れどころか、自分にとりこの演奏の大好きな解釈の一つとなったものだ。第一幕はそれほどアジったものではなかったのだが、前奏曲から、何か尋常ではないう ねりと深みのような凄味があり、正直驚いた。この凄味はKnaのようなものや、Toscaniniのようなものとは別のものであり、Jochumの独自性 が開花されていたと思う。特出すべきは音の臨場感。バイロイトの録音はどの時代でも、どの演奏でも非常に満足できる音作りだし、それがWagnerの音の 一つのサンプルであり、特上の好例だとは思う。この1954年のモノーラルの録音でも、それが素晴らしく伝わってきて、管楽器の分離のよさ、弦楽器の厚み と、オケ及び合唱、歌手とのバランスのよさには流石バイロイトと唸ったものだ。

 第二幕冒頭から、ようやくエンジンが暴走している感じで、有名な フリードリヒ(Hermann Uhde)とオルトルート(Astrid Varnay)の歌声、いや丁々発止は聴いていてぞくぞくする。今まで聞いてきたLohengrin野中でもっとも、緊迫した、そして深い暗黒面を覗いた かのような演奏であった。第三幕になるとまたアップテンポになり、全体で62分くらいしかない。歌手では、一音一音クリアーに聞こえる、意外と様になって いるアダムのハインリヒ王、ちょい役だが、逆に鼻につかないFDの軍令。ニルソンのElsaもヒステリックではないが、聞き物であろう。全体的に決まりに 決まっているので、ゲルマン的だが爽快さをも感じた。
 
 
新鮮魚賞
MTT指揮サンフランシスコ響によるマーラー『嘆 きの歌』(第二版) (RCA)

新鮮である。颯爽としていて、格好いいだけ ではなく、伝統から 一つ抜け出して、いや、若しくは否定して、0の状態から出発した解釈である。恐らく何の衒いも無く、何の後ろ盾がないからこそ、出来た業であり、これこそ がアメリカの「伝統」の良いところである。また、マーラーの作品の中でも、マイナーに属する作品であったのも有利にしているはず。このマーラーの「作品 1」はようやく最近陽の目に出るようになったし、録音だけではなく、演奏会に取り上げられることも稀ではなくなった。この曲が「作曲家の初期の作品」とい うことだけに囚われずに、「一つの作品」として取り上げられるのはマーラー理解を手助けるだけではなく、曲の持つ魅力も再評価できるはずだからである。

 この、20歳で書かれた、そして作曲家の登竜門であるベートーヴェン賞への応募作品、結局却下されてしまうのだが、を 「真剣に」 そ して、問題性、更には革新性に光を当てることは、マーラー理解だけではなく、ロマン派音楽への真の理解にも繋がるはず。この作品は、彼の将来書かれるであ ろうシンフォニーへの布石だけではなく、オペラティックなカンタータであることも見逃せない。作曲家マーラーは従来の作曲技法を身につけつつも、マーラー でしか味わえないオリジナリティーも、この壮大なカンタータを聴けば自ずと分かるはず。特に、グリム兄弟から童話から引用し、他のマテリアルからも使 用しつつ、自身が書いたテクストは、後期のマーラーの歌曲への扱い、テクストのテーマへの趣味を想起させる。

 MTTの解釈は、いたってオペラティックでありながら、べたべたした品の無いものでは決してなく、初期の作品から熟練 された曲のも つ技量性を 十 二分に出し、合唱・歌手・オケともども、新境地へ開拓したようなフレッシュさが聞こえる。指揮者の良い意味での若々しさは、アメリカのオケにぴったりで、 正直言って名前だけ有名で今までぱっとしなかったサンフランシスコのオケの存在感を出すようになるまで成長したと思う。前任者のブロムシュテットも決して 悪い指揮者ではないのだが、彼はどこのオケを振っても、モノトーンでやや攻撃的一本調子なものだっただけに、MTTのこの独自性・個性、そして一種の妖 気・色気は大いに有意義なも のだ。彼は更に他のレーベルだが、マーラー・チクルスを継続していて実に楽しみなものになるであろう。

 私は、このCDをシャイーの実に叙情味溢れる、歌心のあるもの、そしてケーゲルの一種爆演とでも形容したい、劇的なも のと座 右に置いて いき たい。尚、版の問題だとこのCDは第二版で、今年買ったががっかりだったラトルのものと同じ。ナガノ指揮ハレ管のは第一稿であり、これもなかなか面白くて 楽しめた。
 
 
古色蒼然賞
(誤解される名称だが・・・)
C.ディヴィス指揮シュターツカペレ・ド レースデンによる シューベルト交響曲全集 (RCA)

ドレースデンはこのディヴィス、ブロムシュ テットそして、ザ ヴァリッシュとシューベルトの全集を作成している。よっぽど好きだったのであろうか、それとも、レコード会社の意向なのか?

 ザヴァリッシュは残念ながら聞いたことがないのだが、ブロムシュテットの全集は徳間の廉価で揃えており、初めての全集 だったし、今 まで刷り込まれてきたシューベルトはあれであった。しかし、同時にその一本調子でアナクロ的な毎度のブロムシュテットの解釈は、それはそれでよいものの、 なんとなく馥郁とした「シューベルト的」色香に欠けていたものであるのは否定できないであろう。シューベルトの持つ最高級のロマン的歌心はあそこには無 かった。無能な商業主 義のお陰 で、クーベリックとかハイティンクとかこのC.ディヴィスも「穏健派」、「正統派」とかなんとかのあげつらい宣伝文句が纏わりついているが、少なくとも 実際に聞いてみると、これらの形容は数多くの形容詞のその一つでしかないことが分かる。また、スタジオ録音とライブ録音とを同時に評価の対象とするのも異 論がある。残念ながら、彼をライブで聴いたことがないのだが、鼻歌交じりの情熱的なもの、と同時に滔々と流れるロマンティックなものである。確かに彼の 芸風は決してカラ フルな解釈をするようなものでもないし、今流行の学級的、または爆演型指揮者でもないのだが、基本を踏み外さず、オケの持つカラーを最大限に引き出す文字 通りの名匠指揮者だと思う。

 オケのドレースデンは大体においていかなる指揮者の演奏でも素晴らしく、その呼吸と奥の深さは至って美的なのだが、 ヴィーン・ フィ ルと同様、少しばかり指揮者独自のカラーが出難いという危険性をも孕んでいる。ディヴィスもその先入見を突破した訳では無いのだが、この演奏を聴けば、最 高級の味わいと シューベルトの持つ歌曲的「節」を十二分に堪能 出来ると考える。この全集の問題点は、普段なら優れた録音で有名なRCAなのだが、この演奏に限って、なんとも精細を欠くもっさりとした歯切れの悪いもの なのが惜 しまれる。特に第八番・・・なんたること。
 
 
がっかり賞
 因みにがっかり盤は
 
バレンボイム指揮BPOによるブルック ナー全集。(Teldec)(両者とも才能の無駄使い)
 ボストック指揮チェコ室内管によるシューマン初稿版交 響曲全集(ようわからんレーベル)(初稿版だからって、だからどうした?)、
 StiedryによるMETの『Ring』と『パルジ ファル』(独Gebhardt+独Walhall) (音の悪さと、指揮者のいい加減さで損をしている?)
 ライトナー指揮『オイリアンテ』。(独 Walhall) (つまらない作品をつまらない演奏で。)
 CDのジャケット、特に廉価盤のもの。ブリリアントが 筆頭。(センスの悪さはぴかいち。やっぱり、飯と女がまずいとこ ろは・・・。)


参 考文献(順不同):
Alain Paris: Lexikon der Interpreten klassischen Musik im 20. Jahrhundert; dtv
Chronik Verlag (hrsg.): Die Chronik der Oper
Martin Anderson: Klemperer on Music; Toccata Press
吉 田秀和:世界の指揮者:新潮文庫
新 明解国語辞典
各 種ノーツ
他多数。



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